「クルサー・リッリエイ孤児院」の子供たちの基本的人権に関するアピール

200621

 

2005915日、私たちは「カンボジア/シェムリアップの孤児院で暮らす子供たちの基本的人権に関するアピール」を関連国の豪大使館ならびに世界中の良識に向けて発信しました。その甲斐あって50人の孤児たちの「お母さん」が奪われるという最悪の事態だけは未然に防ぐことができました。この場で皆様のご協力、ご支援に改めて感謝を申し上げます。とはいえ孤児たちが置かれている基本的状況は残念ながらいまだに解決を見ていません。問題の抜本的解決を目指し、皆様のご理解と再度のご協力を仰ぐため、この間の経過報告を含めてここに第二回目のアピールを発信いたします。

因みに、第一回目のアピールでSRPOという略称を用いた孤児院は、今後「クルサー・リッリエイ孤児院」と表記します。昨年の時点でもし「お母さん」が追い出され、そして子供たちが「お母さん」の後を追って施設を出た場合、「お母さん」が児童誘拐罪で訴えられる惧れがありました。そのため万一の場合に備えて受け皿としてNGOを設立しておく必要があると考え、私たちは昨年11月にカンボジア国内で関係官庁の認可を取り、NGO「クルサー・リッリエイ(Happy Family)」を設立しました。この名称は子供たちの発案によるもので、かつ子供たちの願いを込めた名称です。政府が200411月にSRPOの管理・運営を全面的にサンライズ(オーストラリアのNGO)に委託し、しかしサンライズがSRPOの運営責任を完全に放棄するのみならず、第三者による支援すら妨害してきた過去1年の実情に鑑みると、この孤児院の所属はいわば宙に浮いた形でした。そんな中、子供たちが兵糧攻めに耐え抜いてきたのは私たちが支援を続けてきたからです。そういうこれまでの経過に鑑みても、そして私たちが子供たちとともに今後目指す孤児院のあり方に鑑みても、「クルサー・リッリエイ孤児院」という名称の方が適切と思われます。

 

2005101日以降の経過

サンライズの意を受けた政府がトーラエムさんの定年退職(2005101日付)を決定していたため、101日以降にトーラエムさんを排除するための強制執行が予想されました。事実、サンライズは9月末にはトーラエムさんを追い出した後ただちに奥の施設を接収する構えを見せ、数十台のベッドを運び込もうと用意していました(このベッドは20062月現在もサンライズ孤児院の入り口部分に山積みされたままです)。しかし強制執行は今日に至るまで行われていません。日本、ドイツ、アメリカ、シンガポールの4カ国から行われたオーストラリア大使館へのアピールが効を奏したのは明らかです。私が9月末にサンライズ会長コックス氏にメールを送ったところ、私たちがオーストラリア大使館を巻き込んだことに怒りを示すとともに、いっさいの話し合いを拒否し、フンセン首相の権力で事態を解決すると宣言してきました。それはカンボジアに住む私に対し国外退去の可能性を示唆するものでもありました(『correspondence with Ms Geraldine Cox』参照)。

 2ヶ月近く膠着状態が続いた後、上記のコックス氏の断交宣言にもかかわらず、事務局長のトレバー氏が私たちの話し合いの呼びかけに応じてきました。20051129日、2006120日、123日の3回にわたって私たちはトレバー氏と話し合いを行いました。

 またその後、127日に私たちは社会福祉省シェムリアップ局長のシエンソン氏と会談を行いました。

 これら一連の過程で明らかになってきた事実を以下に問題ごとに整理します。

 

1.サンライズの責任放棄

20051129日の会談でトレバー氏は、送電停止はサンライズが犯した唯一の過ちだったことを認めました(彼が言を翻す惧れがあるため、彼の言葉はテープに記録してあります)。送電停止が行われたのは2005年の34月で、その後7月にサンライズの会長コックス氏はカンボジア・デイリー紙の問い合わせに対し、送電停止の事実そのものを否認し、非難を不当な誹謗中傷だと開き直っていたのですから、トレバー氏の発言はサンライズ会長の前言を撤回したことになります。厳密に言うとサンライズの過ちは事実を誤認してトーラエムさんが洗濯機を使ってランドリービジネスをしていると考えたということです。この誤った事実認識に基づき、自分たちが負担する電気代が増えることを避けるために、送電を全面停止したそうです。それまで電気代に関しては政府から委託を受けた管理運営責任者として最低限の責任を引き受けてきたサンライズが20043月の時点でその責任を放棄したわけですが、その点についての反省の弁はトレバー氏の口からは聞けませんでした。

一方、水道の停止についてはトレバー氏は、2004年末にサンライズが入り込んできた時点で手前のサンライズ施設でも水道が止められたとき、水道会社に料金を払ってすぐ復旧してもらったが、奥の施設については水道がどうなっているのか自分には分からないと語りました。昨年7月の時点でカンボジア・デイリーに記事が載った時点で、あるいは遅くとも昨年9月末にサンライズが私たちのアピール文書を入手した時点で水道停止の事実は明確に指摘されていたのですから、どうなっているのか分からないと語ること自体がすでに管理運営責任者としての責任の放棄を意味します。2006120日の会談でトレバー氏は水道に関する調査を約束しましたが、今日に至るまでクルサー・リッリエイ孤児院の水道の蛇口からは一滴の水も出てきません。

 またトレバー氏はサンライズが食料を奥の施設に支給しなかったのは、ひとえにトーラエムさんが拒否したからであり、自分たちに責任はない、と言いました。これはサンライズが終始一貫繰り返した弁明論拠です。サンライズが善意の団体であると信じて疑わない人々には有効な論拠です。しかし事実経過を綿密に検証してみれば、トレバー氏の発言は責任転嫁のための作り話であることが分かります。サンライズは食料の提供をオファーしたと言いますが、それはいったいいつのことなのでしょうか?サンライズが乗り込んできた200411月以来、クルサー・リッリエイの2人の少女が克明に日記をつけていますが、サンライズが初めて食料提供をオファーしたのは2005年の426日のことです。それ以前には一回だけ、20041210日にサンライズが食料を持ってきたことがあります。しかしそれは122日にクルサー・リッリエイを訪れたツーリストグループがトーラエムさんのリクエストに基づいて市場から買ってきたものをサンライズが横取りし、8日後になってそれをクルサー・リッリエイに手渡しただけのことです。重要なことは少なくともこの時点ではトーラエムさんも子供たちもまだサンライズから支援物資を受け取る用意があったということです。しかし1210日以前も以後も2005426日に至るまでサンライズから支援のオファーはいっさいなかたのです。それどころか子供たちはサンライズが支援者を制止する現場を幾度も幾度も目撃し、さらに電気も奪われ、そうして426日に突如サンライズから送電再開(ただし日中の12時間のみ)と食料支給をオファーされたわけです。ですから子供たちがこのオファーを拒絶した心理は十分理解できます。そしてこの拒絶をもってサンライズが責任逃れの論拠を紡ぎだすとすれば、その論拠は説得性を持ちません。

 以上、いずれの点においてもサンライズが政府から委託を受けた管理運営責任者としての当然の義務を最初から今日に至るまで履行してこなかったは明らかです。加えて、仮に百歩譲って2005426日以降に関してサンライズの論拠を認めたとしても、子供たちがサンライズからの支援を拒絶する(たとえ飢えで死んでもサンライズからは何も受け取りたくない)という事態を招いたということについて、サンライズの管理者責任が問われます。どういう経緯で子供たちがそういう「頑な」な態度をとるようになったのか。サンライズはそれを「トーラエムさんが洗脳したからだ」の一言で説明しようとするのかもしれませんが、子供たちはトーラエムさんの話を聞いたからではなく、自分たちの目でサンライズの所業を目撃し、自分たちの身体で被害を経験したからこそ、サンライズをここまで憎むに至ったのです。管理者はこういう結果を招いた結果責任を当然負うべきだというのが国際常識ですが、トレバー氏にその点を問いただしても彼はまったく聞く耳を持ちませんでした。

 

2.支援妨害

 20055月か6月頃まではサンライズは警備員を使い、すべての訪問者をオフィスに呼びつけて(トーラエムさんによる子供虐待、寄付金横領)によって支援の意思を削ぐような作り話を聞かせたり、あるいは政府から通達が来ていて奥の施設(=クルサー・リッリエイ)は訪問禁止となっていると言ったりして、外部からの支援(クルサー・リッリエイのライフラインの一つ)を妨害し続けてきました。前回のアピールで「兵糧攻め」という表現を用いた所以です。

 この関連で、今年127日に社会福祉省の役人と会談した折に二つの事実が新たに判明しました。

 トーラエムさんによる子供虐待の証言として3人の孤児(8歳の子2人と10歳の子)の手紙がサンライズから社会福祉省のもとに届けられていたのです。内容はいずれも、自分は自分の意思でトーラエムさんのもとを出てサンライズ孤児院に移ってきた、その理由はトーラエムさんが竹の棒で自分を叩いたからだ、というものでした。文章はいずれも明らかに同じ筆跡で、子ども自身が書いたものではありませんでした。おそらく筆跡鑑定をすれば、前院長のムン・ソコン氏の筆跡であることが証明されると思われます。2003年頃まで政府の汚職役人と結託して子供たちに踊りをさせて金儲けをし、また今は人身売買の罪で刑務所に収監されているローエン・ガリンドという米女性と一緒に養子斡旋ビジネスで私腹を肥やしていたあのムン・ソコン氏です。その後、トーラエムさんに話を聞いたところ、この3人の子供は20054月から5月にかけて連続してサンライズに移っていった10人ほどの子供たちのうちの3人です。この3人の子供は例外的に親のいる子供ですが、カンボジア正月の際にムン・ソコンがその親を訪ね(子供当人から聞いた話)、その後親が子供を一時里帰りという名目で田舎に連れて行ったそうです。そして正月が終わって親が子供たちを連れて帰ってきたとき、そのままサンライズに引き渡したのです。前回のアピールで書いた通り、その際にサンライズと親の間で金銭の授受があったという証言があります。この経緯に鑑みると、「自分の意思で」という表現には疑問符がつきます。また親が子供を強く叱るとき、竹や木の細い棒で子供の脚や腕を叩くのはどの家庭でも見られる光景ですので(手で顔や頭を叩くことはない)、そういうことがあったのかと聞かれれば子供は肯定するでしょう。また3人のうちの1人は小学校1年生で文字を習い始めたばかりです。そんな子がムン・ソコンの作文を見せられ、断片的な事実確認を経て署名をせよと言われれば、それに従うのは自然の成り行きでしょう。いずれにせよ、信憑性の低い3通の手紙とクルサー・リッリエイの30人近くの子供たちが自筆で書いた手紙を比べてみれば、どこに真実があり、どこに姑息な作為の跡があるかは、おのずと見えてきます。

 もう一つ、政府からの訪問者差し止め通達についてですが、社会福祉省の役人は端的にその事実を否定しました。サンライズが支援者を妨害するために考え出した嘘だったのです。逆に言えば、そんな嘘をついてまでサンライズはクルサー・リッリエイを善意の支援者から孤立させたかったということです。

 20056月に私たちがサンライズと最初の会談を行った頃から、サンライズは訪問申請用紙なるものを作り、この用紙に個人データを記入するという条件でクルサー・リッリエイの訪問を認めるという姿勢に移行しました。特に20059月以降、私たちのアピールを受けて人権団体リカドやセイブ・ザ・チルドレン等のNGOが調査に入りだし、またオーストラリア大使館から質問を受けるに及んで、表向きは訪問者を止めてはいないという体裁を取り繕うようになりました。もし政府の訪問禁止通達なるものが真実であったならば、誰に咎められようとも政府の決定だと言って突っぱねることもできたはずですが、今度は逆にいまだかつて訪問者を止めたことは一度もないと言い始めたのです。今年1月のトレバー氏との会談においてその矛盾をつき、政府に訪問者を奥に入れるなと言われながら政府命令を無視して訪問者を認めてきたというのかと私は問いただしました。するとトレバー氏は大仰に両手を広げて「we can not..」、つまり「政府が何を言おうと支援者を阻止することなどできるわけがない」と言うのです。嘘を積み重ねてきたので辻褄を合わせるのは大変なのですが、トレバー氏のソフィスト(詭弁家)としての能力は、さすがサンライズの事務局長に抜擢されるだけあって、並大抵ではありません。彼の言葉を聴いていると頭が混乱してきますが、真実を見抜くには彼の言葉のほとんどが虚言であることを認識するのが早道です。事実はというと、政府通達などなかったし、にもかかわらず政府通達という口実でサンライズは訪問者を止めてきたのです。仮にトレバー氏が人道上の見地から政府通達に逆らうような人間だったら、そもそもトーラエムさんとの間で問題を起こしたりしなかったでしょう。

 さて、表向きの体裁を繕い、あからさまな支援妨害は控えるようになってきたとはいえ、依然として正面ゲートには警備員が配置されていますし、初めての訪問者は個人データの提出を求められますし、訪問のタイミングしだいでは「今は訪問時間外だから」という理由で(サンライズの内規として訪問が認められるのは平日の午後2時から5時までの間だけ)訪問を断られるというのが現実です。つまり人権侵害という批判をかわしながらも、サンライズの敷地を通らなければ奥のクルサー・リッリエイに行けないという地理的条件を利用して実質的に支援者の訪問を困難にする方法はいろいろあるわけです。そしてこの状況が続く限り、クルサー・リッリエイの重要なライフラインの一つである訪問者(旅行者)による支援は実質的には機能しません。

 手前のサンライズ孤児院は平日の午後には多くの観光客で賑わっています。それというのも、旅行者がツアーグループをサンライズ孤児院に送った場合、サンライズはツアーガイドとバスドライバーに6 US$ (カンボジアの物価に照らすと7000円から1万円に相当)のコミッションを払い、さらに供たちにクメールダンスを踊らせてツアー客を歓迎するからです(現地旅行会社の専属ガイドから聞いた話)。ツアー客はサンライズの慈善事業に感動し、それなりの寄付金をおいていきます。しかしその一方でツアー客の目にはほとんど触れない奥の敷地で50人の孤児たちが忘れられたかのように、今日もなお兵糧攻めを受けながら必死の思いで暮らしています。これが正義でしょうか?

 

3.トレバー氏の言葉の信憑性

訪問者を制止する口実として政府通達を持ち出したトレバー氏の言葉が事実に反することは、政府当局の役人によって裏づけられましたが、同時に当局との会談を通じてトレバー氏のさらなる嘘が確認されました。

トーラエムさんの処遇について、第三者の調査を受ける度にサンライズが繰り返してきた論拠があります。すなわち、サンライズとしてはトーラエムさんにサンライズ内部でのポストをオファーしたがトーラエムさんが自分の手で資金を管理することに固執したため、トーラエムさん排除の方針を固めたという論拠です。第一に、サンライズはトーラエムさんにポストをオファーする前の最初の段階で(2004年夏)トーラエムさんを継続採用しないという意思をトーラエムさんに伝えていたのです。当時はまだトーラエムさんの献身的な「母親」ぶりを評価していた社会福祉省シェムリアップ局長シエンソン氏はトレバー氏に対して再考を促し、トーラエムさんの継続雇用を求めました。それを受けて初めてサンライズはトーラエムさんにポストをオファーしました。その際にサンライズはトーラエムさんに対して他の職員と同様に夜は施設を離れて毎日通勤勤務することを条件にしたのです。夜になったからといって子供たちを置き去りにして自宅に帰る母親がどこにいるだろうか、施設には3歳以下の乳幼児が20人近くもおり、自分は母親として夜でも熱を出している子はいないかと寝ている子供の額に手を当てて回り、子供たちの面倒を見続けなければならない、そう考えてトーラエムさんはサンライズの要求を受け入れなかったのです。会談でトレバー氏はこの点について、サンライズは当初トーラエムさんに週2日は孤児院の外で寝ることを要求したが、それは政府当局からの法的要請に基づくものだったと語りました。「週2日」も嘘ですが、「政府当局からの法的要請」も嘘でした。当局の役人の話では、一般に孤児院職員(caretaker)は孤児院で寝泊りすることが望ましいが、一定の条件下では外泊を認めることもある、というのが政府の方針です。トレバー氏の話は二重三重の嘘で塗り固められたものでした。さらに「トーラエムさんが資金管理に固執した」という話も、第三者をなるほどと思わせるための作り話でした。トーラエムさんがサンライズオファーを断った唯一の理由は、たとえ夜の間だけでも子供たちと引き離されることに納得しなかったからです。

第三者の調査に際してサンライズが常套句のように繰り返してきた論拠がもう一つあります。サンライズとしてはトーラエムさんに食料の提供をオファーしてきたが、彼女が受け取りを拒否したため、食料を届けることができなかったという論拠です。この論拠によってサンライズは政府から管理委託を受けた者としての責任を回避(転嫁)しようとしています。管理者に求められる結果責任ということを考えると、この論拠は不十分であり、仮にこの論拠が正しいとしてもサンライズの管理者責任は依然として問われるべきですが、実はこの論拠そのものも、第三者を納得させるためだけに捏造された作り話でした。単なる水掛け論に終わらせないためには、具体的な事実検証が必要です。最初に問題となるのは、いつどのような形でサンライズが食料のオファーをしたのかということです。11月半ば以降、クルサー・リッリエイの2人の少女が克明に日記をつけていますが、その記述によると、サンライズは11月末に乳児用ミルク2缶とバナナ1房を子供たちに手渡し、1210日に「1ダースのあひるの卵と粉ミルク二缶、肉、干し魚、野菜(キャベツ)、果物(一房のバナナ、オレンジ)」をトーラエムさんに手渡しました。ただし後者のほとんどは、サンライズが122日にあるツアーグループから取り上げ、保管していたものです。本来であれば政府の委託を受けた管理責任者としてサンライズはシェムリアップに入ってきた11月半ばから奥の子供たちに対してもただちに毎日3回の食料支給を開始してしかるべきでした。しかし実際には上記の例外を除き、以後数ヶ月間にわたって食料提供のオファーすらありませんでした。オファーがなかったのですから、オファーを拒否したという事実もありません。少なくとも1210日の時点ではトーラエムさんは提供されたものを受け取っているのですから、最初の1ヶ月間に他に食料提供が行われていたとしたら、トーラエムさんはそれを受け取っていたでしょうし、2人の少女はそれを日記に記していたでしょう。サンライズの責任不履行は明らかです。責任不履行どころか、善意の第三者による支援をサンライズがこの時期から妨害し始めていることが、日記で証言されています。サンライズが食料支給のオファーを(日中12時間の送電再開のオファーとともに)行ったのは、その後数ヶ月を経た426日のことです。このときもトーラエムさんはオファーを拒否したわけではありません。このオファーに対して彼女は「もしあなた方が善意で食料を支給してくれるというなら、喜んで受け取ります。でももし悪意が裏にあるのなら、受け取りません」とトレバー氏に答えました。そう答えてサンライズの対応を見守っていたが、結局食料支給は行われなかったということです。

200511月のトレバー氏との会談で、彼は2005222日に自分が部下に孤児院の二階の部屋のドアを蹴らせた事実はなく、ただ自分が自ら拳でノックしただけだと語っていました。20056月の会談に際して私たちが子供の証言に基づいてこの容疑を問いただした時点では、トレバー氏は帳面を見ながら、222日には自分はシェムリアップにいなかったのだからとんでもない嘘だと激高していたことを考えると、容疑の一部を認めたことになります。さらに20061月の会談に際して、私たちはもう一度証言者に確認したが、彼は間違いなくトレバー氏が部下にドアを蹴らせたのを見たと言っていると伝えたところ、トレバー氏は「部屋の中でドアの向こう側にいたその子がどうしてドアを素通ししてこちら側を見ることができるのか」と切り返してきました。彼は部屋の中に立てこもった子が証言者であると勘違いし、「ノックしただけ」と言えば言い逃れできると考えていたようです。しかしドア蹴りを目撃したのは部屋の中にいたL君ではなく、たまたま階段を上がってきてその場に遭遇したC君なのです。C君はトレバー氏の背後からすべてを目撃していたのです。ドア蹴りという事実はそれ自体としては小さな事実かもしれませんが、この事実を通してトレバー氏の基本的な体質というものが透けて見えてくるのです。

もう一つ、200511月の会談で、トレバー氏は、自分たちがバンコクエアウェイズを訪問したのはクルサー・リッリエイに対する支援の継続を依頼するためだったと意外なことを言いました。一方で兵糧攻めの体制を築き上げてきたサンライズが、それと逆行する意図をもってわざわざバンコクまで行くでしょうか。私が以前バンコクエアウェイズのソムルタイ氏から聞いた限り、サンライズが支援継続を頼みにやってきた等という事実はありませんでした。ソムルタイ氏が支援停止の理由として挙げたのは、サンライズという資金力豊かな組織が運営を引き受けた以上、支援の必要性は薄れたという判断と、サンライズとトーラエムさんの争いには巻き込まれたくないという判断でした。

 

4.サンライズの意図と私たちの今後の方針

 200511月にトレバー氏が私たちとの会談に積極的に応じてきたのは、サンライズとして手詰まり状態になりつつあり、私たちが新孤児院を建設してトーラエムさんと子供たちを引き取ってくれれば好都合であるとの期待に基づいてのことでした。実際、会談の中でも、トレバー氏は、もし私たちが一定の期限を定めて子供たちの引き取りを確約するならば、ただちに食料支給を開始し、さらに新孤児院への移動から向こう1年間は自分のポケットマネーで50人の子供たちに必要な米を贈呈するという妥協案を提示してきたのです。そこから2つのことが読み取れます。第一に、サンライズはトーラエムさんだけを追い出して50人の子供たちから引き離すという乱暴なことは断念したということ。第二に、本来この50人の子供たちを助けるという触れ込みでシェムリアップにやってきたサンライズが今や子供はどうでもいいからともかく全員を立ち退かせ、奥の土地をほしがっているということ。会談の中でも、次の雨季が始まるまでに奥の敷地で新家屋の建設を早く始めたいという焦りのようなものが、トレバー氏の言葉の端々から聞き取れました。

 トレバー氏の妥協案は筋違いの手前勝手な話で、もちろん考慮に値しません。20061月の会談で私たちはトレバー氏にクルサー・リッリエイの要求を突きつけました。

 

(1)     過去14ヶ月にわたってサンライズが政府の委託を受けた管理責任者として当然の責任を果たしてこなかった以上、少なくとも奥のクルサー・リッリエイについては政府に委託を返上すべきである。以後は、私たちクルサー・リッリエイは50人の子供たちに対する責任を引き受ける用意があるが、ただしそのための前提条件として、警備員による訪問者規制を止めることを、サンライズに要求する。私たちにはサンライズの「良き事業」を妨害する意図はないが、しかし私たちが50人の子供たちの支援を行う上で障害となっているサンライズの措置は容認できない。

(2)     (1)の要求が受け入れられない場合、私たちは新たに新施設を建設して50人の子供たちを引き取る用意がある。ただし、移転に際して携行できない不動産(米NGOが社会福祉省との契約に基づいて寄付した家屋、トイレ、井戸、フェンス、遊具等々、およびドイツの旅行会社studiosusが寄付したシャワールーム、倉庫、トイレ等、さらには数年前にトーラエムさんが寄付金と自費を投じて土砂を買い、沼地を埋め立てて整備した土地)については、サンライズが相応の対価を補償として支払うべきである。またサンライズが200411月以来子供たちに与え続けてきた精神的・経済的損害に対する補償、および管理責任者であるサンライズの義務不履行に対する相応の補償も行うべきである。

 

 トレバー氏はこのいずれの要求に対しても即座に拒絶の意を表しました。その上でトレバー氏は、最終的には確実にサンライズが勝利を収めると語り、今の時点で自分たちの譲歩案を呑めばトーラエムさんたちにも若干の利益があるが、もしいつまでも抵抗の姿勢を続けるならば、すべてを失い、かつ最終的には政府の決定により今の場所を追い出されるであろうと語りました。124日にはトレバー氏がプノンペンでおそらく社会福祉省の政府要人と会合を持ったことが分かっています。数ヶ月の膠着状態を経て、今またサンライズは政治工作を通じた事態収拾に動き出しているようです。

 そんな中、127日、私たちはシェムリアップで社会福祉省のシエンソン局長に会い、1時間半にわたって話し合いを行いました。私たちはサンライズの責任不履行、トーラエムさんと子供たちの愛情に基づく絆を指摘した上で、上記の2つの選択肢に言及しました。シエンソン局長が唯一肯定的な反応を示したのは、私たちが50人の子供を新施設に引き取る用意があると述べたときだけでした。ただし、サンライズによる補償に関しては彼はなんの反応も示しませんでした。全体的印象を言うならば、シエンソン局長はサンライズ側の虚偽情報ばかりを聞かされてそれを信じ込んでいるという可能性が10%、それ以外のなんらかの理由によりサンライズの利益の代弁者に成り下がっているという可能性が90%です。僅かな10%の確率に賭けて、遅まきながらシエンソン局長に対するアピールを引き続き行いますが、あまり大きな期待は持てません。なにしろ、人権団体を名乗るリカドですら、調査を行った後、最終的には自分たちは子供たちのスペシャリストではないという理由で、リカドとしての態度表明・判断を回避してしまったような国ですから、行政官僚に正義を期待するだけ無駄なのかもしれません。シエンソンの部下から聞いた話ですが、20051月の時点でシエンソン局長がトーラエムさんを追い出すためにプノンペンの裁判所に訴え出ようとした際、シェムリアップ州知事からこの問題はシェムリアップ内部で解決するようにと制止され、強硬措置をとるに至らなかったということです。シェムリアップ州知事がトーラエムさんに一定の理解と同情を示しているということは以前から分かっていました。ただ力関係から、州知事(フンシンペック党)もフンセン中央政府(カンボジア人民党)の決定には反対できないことも分かっています。州知事としては自らの政治生命を保つ上でも両極間のバランスをとることが必要で、おそらくそのためか、昨年末に私たちが2度ほど州知事との面会を求めたときにも、応じなかったのです。こういう国ですから、私たちは問題をカンボジア国内だけで解決できるとは考えていません。今後も引き続き、常識と良識が通用する世界に向けて広くアピールを発信し続けていくことが、唯一の道であると考えています。

 現実問題として、私たちはまず一方でクルサー・リッリエイを新孤児院として建設していく道を歩き出す必要があると考えています。サンライズの意を受けた政府権力がいつ強制排除に動き出すのか、見極めがつきませんが、なるべくそうなる前に、子供たちを新しいスタートラインに立たせたいと願っています。これまで「筋」や「正義」にこだわり、「今の場所」にこだわってきたトーラエムさんも子供たちも、ようやく今年になってその方向を望むようになってきました。いつまでもサンライズの「悪行」を目にして憎悪に心を染めていくよりも、新天地で新しいスタートを切り、再び多くの支援者の善意に触れつつ「クルサー・リッリエイ」の愛情を育んでいく方が、子供たちの心にとっていいことは確かです。

 しかしその一方で、引き続きサンライズの不正を指摘し続け、金さえあれば不正がまかり通るというこの国のあり方を少しでも変えていきたいという思いがあります。昨年9月、強制排除と投獄が予想された危機的状況の中で「私は何も悪いことはしていない。善いことをしていれば、必ず善い結果がついてくる」と言って微笑み、施設に平然と留まり続けたトーラエムさんを見て、私たちは「このドン・キホーテのような女性はひょっとしたらカンボジアの腐敗構造に風穴をあけるかもしれない」と思いました。この国の金権・汚職体質が消えるまでにはまだ何十年もかかるかもしれませんが、しかしトーラエムさんのような先駆者がいなければ、そして私たちが彼女のような人を支えていかなければ、この国は何十年経っても今のままでしょう。

 

クルサオ・リッリエイの子供たちの友人

伊藤 聡(日本)

Bob Lee(アメリカ)

Lee Pil Seung(韓国)

Ange Dries-Behrenbeck(ドイツ)

Chia Steve(シンガポール)

他一同