クルサー・リッリエイ孤児院

NGOの人権侵害に苦しむ子供たち

 

カンボジアには数え切れないほど孤児院がありますが、その多くは「孤児院」という看板を掲げてはいるものの、実際には教育を受けさせるために両親または片親がいる子供を引き取っている施設です。そんな中でこのクルサー・リッリエイ孤児院の子供たちは文字通りの孤児で、両親と死別したか、もしくは貧しさゆえ親に捨てられた子供たちです。現在、2歳から18歳までの子供たち46人が暮らしています。彼らの世話を一手に引き受けているのが、現在56歳のトーラエムさんという女性です。ポルポト時代に愛する家族を殺され、過酷な時代をかろうじて生き延びた彼女は、過去20年にわたってこの孤児院で子供たちの面倒を見続けてきました。ただの一日も休むことのない彼女の献身的な働きぶりは一職員としてのそれをはるかに超えており、それは彼女が子供たちをわが子として愛していればこそ可能なことです。ほとんどの子供たちは物心つく前にこの孤児院に引き取られてきたため、彼らにとってもトーラエムさんは初めからいつもそばにいてくれた人であり、単なる世話係というより、母親そのものなのです。トーラエムさんは1988年から1997年まで炊事婦として働き、1997年に前院長が退任してからは実質上一人で子供たちの面倒を見続けてきました。子供たちは皆彼女を「マ(お母さん)」と呼び、母親として慕っています。その意味でこの孤児院は一方では本当の「孤児」院でありながら、同時に一つの大きな「家族」なのです。「家族」の中で孤児が孤児であることを意識しなくなるということは、孤児院の理想の姿です。

貧しいながらも平和に心豊かに暮らしていた子供たちに突然の災難が訪れたのは、2004年の末でした。ある日、「サンライズ」と名乗るオーストラリアのNGOがやってきて、この孤児院を管理・運営することになったのです。サンライズが最初に手をつけたのは、事もあろうに「お母さん」であるトーラエムさんの追い出し工作でした。この試みが子供たちの抵抗にあって難航すると、サンライズは政府の権力を利用して追い出し工作を続けると同時に、この孤児院への水道を止め、電気を止め、外部からの支援者の立ち入りを妨害し始めたのです。一言で言えば、兵糧攻めを開始し、子供たちに降伏を迫る作戦に出たのです。ありえない話です。信じられない話です。しかし事実なのです。現に今なお兵糧攻めは続き、トーラエムさんの強制立ち退きは数ヵ月後に迫っています。

私がこの事実に気がついたのは、今からおよそ2年前の20051月のことです。貧しくとも、トーラエムさんの愛情を存分に注がれて真直ぐに育ち、素晴らしい笑顔を見せていたここの孤児たちが偽善NGOによって信じられないような人権蹂躙を受けて苦しんでいる、その現実を見てしまった以上、私は黙って通り過ぎることはできませんでした。カンボジアの最高権力者との太いパイプをもつサンライズに対して勝算があったわけではありませんが、明らかな不正に対してまず声を上げなければならないと思いました。当初はたった一人で子供たちを支援し初め、子供たちとともに戦い始めたのですが、懸命の思いで動いているうちに、次から次に新たな出会いがあり、少しずつ、しかし着実に支援のネットワークが広がってきました。縁あってこの孤児院を訪問してくれた皆様にも是非この現実を知っていただきたいと考え、これまでの経過と現状を以下にご説明いたします。 


200411月以前 

現在サンライズが運営している表通りに面した施設と同様、このクルサー・リッリエイ孤児院も、かつては政府(社会福祉省)が管理・運営する公営孤児院、「シェムリアップ州立孤児院」でした。数棟に分かれている建物自体は複数のNGOや個人の寄付によって順次建設されたものですが、敷地は政府の土地です。とはいえ当初この土地は低い湿地で近隣住民のゴミ捨て場だったそうです。ネズミ、ムカデ、蚊、ゴキブリ、サソリがうようよしていて、誰も住む気になれないような土地でした。その後、トーラエムさんは自分の給料を貯め、副業で得た収入も加えて土砂を買い、子供たちと力を合わせて沼地を埋め立てました。さらにそこにCSIというキリスト教NGOが現施設の平屋建て部分を増設し、井戸を掘り、トイレを作り、フェンスを作ったのです。以前の環境を覚えている子供たちは、口をそろえて、今の住環境はとても快適だといいます。

2004年末まで、政府は米、水、薪、電気代のほか、食費として1日あたり4.5$(孤児一人につき0.075$)、さらにはスタッフのトーラエムさんに月給として13$を支給していました。カンボジアの物価がいかに安いとはいえ、育ち盛りの子供が10.075$=300リエルでまともに食べていけるわけがありません。ほかにも教育費、衣類、洗剤、薬、赤ちゃんのミルク等にもかなりお金がかかりますが、この不足分は、この孤児院を訪れてくる旅行者によって支えられてきました。

 
母親」の処遇

 

200411月、政府の役人が孤児院を訪れ、政府は孤児院の管理・運営をオーストラリアのNGO、通称「サンライズ」(正式にはThe Australia Cambodia Foundation Inc. Sunrise Angkor Children’s Villagewww.sunrisechildrensvillage.org、会長Ms. Geraldine Cox、事務局長Mr. Gerald Trevor)に委託したと伝えてきました。サンライズはプノンペンでの孤児院運営で成功を収めた後、2004年、シェムリアップ進出に動き出しました。会長のコックス氏が有するフンセン首相との太いパイプを基盤として担当の社会福祉省の合意を取り付け、シェムリアップにおいてクルサー・リッリエイ孤児院(当時は「シェムリアップ州立孤児院」)を含む2つの孤児院を統合管理する計画でした。 表通りに面する敷地の孤児院(当時は主として年長者の孤児を収容する孤児院)を居ぬきで引き取った後、その奥にあるクルサー・リッリエイ孤児院の施設は解体した上、近代的な総二階建ての施設を建設する青写真が描かれていました。それまで実質上一人でクルサー・リッリエイ孤児院を切り盛りしていたトーラエムさんをどう処遇するか、当然サンライズ内で検討が行われたはずです。その経緯は外部から知る由もありません。明らかなことは2004年末の時点ですでにトーラエムさん排除の方針が固まっていたということです。

サンライズ(コックス会長とトレバー事務局長)の言い分によると、サンライズはトーラエムさんに統合サンライズ孤児院の中でなんらかのポストを提供したが、トーラエムさんは自分で資金を管理することに固執したため、トーラエムさん排除の方針を決めたということです。私がサンライズのコックス会長に初めてメールで問い合わせを行った際に返ってきた回答です。外部からの問い合わせに対して、サンライズは常套句のようにひたすらこの回答を繰り返してきました。しかし、トーラエムさんや子供たちの証言に耳を傾けてみると、事の真相はまったく違った様相を呈しています。

まず、2004年の7月にコックス会長とトレバー事務局長が最初に現れた時点では、トーラエムさんと子供たちはサンライズが自分たちを支援してくれると考えて、大いに喜んだそうです。ところが8月にサンライズ、トーラエムさん、政府(社会福祉省)の三者会談の席上で、サンライズは何故かトーラエムさんを退職させる意向を表明しました。その後サンライズは社会福祉省に説得されてトーラエムさんにサンライズ内部でのポストをオファーしました。しかしその際、トーラエムさんを雇用する条件として孤児院施設内での寝泊りを禁じたため、トーラエムさんはこのオファーを拒絶せざるをえなかったのです。自らを子供たちの「母親」と考えている彼女としては、夜になったからといって子供たちを残して帰宅するわけにはいかず、またそもそも彼女にとって帰る家は子供たちのいるこの孤児院しかありません。夜中でも熱を出している子がいないかいつも見て回っているので、夜間だけとはいえ子供たちから離れろというのは無理な要求でした。トレバー氏は200511月の会談で私の質問に対し、この寝泊りの禁止は政府の規則に基づく要求である、と説明しましたが、政府に確認したところ、そのような規則は存在しませんでした。むしろ逆に孤児院職員は孤児院で子供たちと起居をともにすることが望ましいが、職員が希望する場合は夜間の帰宅を認める、というのが政府の基本方針だそうです。つまり、トレバー氏の説明は作り話だったのです!寝泊りの禁止はトーラエムさんがオファーを拒絶するように仕向けるためにサンライズが考え出した作戦だったと考えられます。また、トーラエムさんがあくまで自分で金銭を管理することに固執したため彼女を雇用しないことに決めたというサンライズの説明も事実の裏づけはなく、トーラエムさんの人格的欠陥を第三者に印象づけるための作り話であると思われます。

それにしても何故サンライズはトーラエムさんを邪魔者と考えたのでしょうか?想像の域を越えませんが、いくつかの理由が考えられます。

1.       サンライズ孤児院(「サンライズ・アンコール・チルドレンズ・ビレッジ」)の組織運営という観点から見て、60人の子供たちから「お母さん」として慕われているトーラエムさんの存在そのものが障害だったと考えられます。サンライズとしては複数の孤児院全体を統合し、100人を超える子供たちを再編成して管理したかったのですが、その一部が一つの「家族」として結束しているのでは都合が悪かったのでしょう。トーラエムさんが60人の子供たちの「母親」としてではなく、あくまで一人のスタッフとしてサンライズが与える役割を忠実に果たすだけならよいが、そうでなければ排除するしかないと考えたのでしょう。プノンペンのサンライズ孤児院ではコックス会長が自分を子供たちに「お母さん」と呼ばせています。コックス氏以外のスタッフが母親役を自認することは、組織運営上、マイナス要因となりかねません。

2.       先進国のNGOにありがちなことですが、サンライズは子供たちの「幸せ」を明らかに物質・身体に偏重して理解しています。だからこそサンライズの人々は、後で述べるように、近代的な施設を見せれば子供たちはサンライズになびいてくるなどと考えたのです。そしてそれが失敗に終わったとき、子供たちが「母親」を慕う心情を理解しようとする代わりに、子供たちはトーラエムさんに洗脳されているに違いないと結論づけたわけです。またサンライズのコックス氏やトレバー氏が初めてクルサー・リッリエイ孤児院を訪れて施設の貧困さや食事の貧しさを目にしたとき、彼らはこの「貧しさ」の責任はトーラエムさんの不十分、不適切なケアーにあると考えたのかもしれません。

3.       複数の人物からトーラエムさんの人格を疑問視する証言が寄せられたため、十分な調査を行わぬまま、サンライズはそれを単純に信じ込んでしまったのかもしれません。

4.       ただし、2および3に関しては、もう一歩踏み込んで考える必要があります。トーラエムさんに対する評価をめぐってサンライズと話をすると、サンライズは事実の真偽を客観的・徹底的に検証する以前に初めから結論を出してしまっており、なんがなんでもトーラエムさんを断罪したがっているような印象を受けるのです。当のトーラエムさんや子供たちに尋ねることさえせず、サンライズはどうしてこうも簡単に第三者の「証言」だけで結論を下すことができたのでしょうか。そして一度結論を出すと、反対証言にはいっさい耳を貸そうとしないのです。サンライズがトーラエムさんは悪しき「母親」であり、子供たちを洗脳し、虐待し、利用している「独裁者」であると考えたのは、そのように考えた方が好都合だったからでしょう。つまり、トーラエムさんを追い出す大義名分ができるからです。

 

水道を止める 

20041130日午前10時、サンライズはクルサー・リッリエイ孤児院の子供たち全員をサンライズがすでに管理し始めた表通り沿いの施設に招待し、大きくて立派な食堂や寝室を見せ、コンピュータールームやダンス・英語を習う教室を見せ、その上で子供たちに「このような施設で暮らしたいか、それとも今まで通り粗末な施設で(トーラエムさんと一緒に)暮らしたいかと尋ねました。すなわち、トーラエムさんのもとを離れてサンライズの傘下に入るように求たわけです。カンボジアの子供たちを少しでも知っている人にとっては当たり前のことですが、子供たちは口をそろえて「お母さんと一緒に暮らしたい」と答えたそうです。      

このことがあった翌日、すなわち2004121日、クルサー・リッリエイ孤児院施設内にある水道の蛇口から一滴の水も出なくなったのです。常識では考えられないことですが、他の諸々の事実と照らし合わせてみるならば、サンライズが水道の元栓を止めたとしか考えようがありません。

200511月に私がトレバー氏と会ってこの点を追及したとき、彼は一応の回答を用意してはいました。すなわち、200412月の時点でサンライズ施設でも一時断水となり、業者に依頼してじきに復旧したが、奥のクルサー・リッリエイ孤児院の断水については自分は関知していないというのです。このときの会談ではトレバー氏は早急に水道の状況をチェックすると約束しました。が、その後1年を経た今に至るまで、断水は続いています。そもそもクルサー・リッリエイ孤児院への水道が止まっていることをサンライズが知らなかったという釈明自体がきわめて怪しいものです。私は2005年夏以降、幾度もこの事実を新聞社(カンボジア・デイリー)や駐カンボジア豪大使に訴えており、その際に私が書いたアピール文書をサンライズも入手しているからです。知らなかったでは通らない話でしょう。

水道が使えなくなって以来、クルサー・リッリエイ孤児院はもっぱら2つの井戸から生活用水をくみ上げています。不便ではあるけれども、それ自体としてはこれは死活問題ではありません。ただ、水道が止められたという出来事はその後に続く多くの死活問題の前触れであり、象徴的な出来事です。

 

米、水、薪、その他補助金の支給停止 

200411月に政府から施設全体の管理・運営を委託されてから、サンライズはクルサー・リッリエイ孤児院に対して従来政府が行ってきた支援を完全に停止しました。すなわち、米、薪、水の現物支給、食費補助金の支給など、政府による最低水準(以下)の支援すら停止したのです。政府から委託を受けた以上、当然サンライズは孤児院の子供たちの生命と生活に対して重大な責任を負ってしかるべきですが、遺憾ながら、サンライズ経営陣にそのような責任感を見て取ることはまったくできません。200511月の会談で私がトレバー氏にこの責任不履行について追及したところ、トレバー氏は「サンライズは食料でもなんでもオファーしているのに、トーラエムさんが受け取りを拒否しているのだからどうしようもない」と責任逃れの言い訳に終始しました。事情を知らぬ第三者が聞けば、「ああ、そういうこともあるのか」と納得してしまうかもしれません。しかし、クルサー・リッリエイ孤児院の2人の少女の日記によって事実を時系列に沿って検証してみると、真相はトレバー氏の話とは違っているようです。サンライズは20041210日にクルサー・リッリエイ孤児院に食料を支給しました。ただしこれはこの数日前に旅行者がクルサー・リッリエイの子供たちのために市場で買ってきた食料をサンライズが横取りし、それを後になって持ってきただけのことです。このただ一度の例外を除けば、サンライズがクルサー・リッリエイ孤児院に何かを支給した事実は後にも先にもありません。また2005426日になって初めてサンライズは食料と電気の提供をオファーしました。すでにサンライズに対する不信を募らせていたトーラエムさんと子供たちは「その申し出が善意に基づくものだったら受け取ります」と回答しましたが、その後結局何も支給されませんでした。このただ一度の例外を除けば、サンライズが何かの支給をオファーしたという事実は後にも先にもありません。こういう事実経過を無視して、ただ上記の言い訳を常套句のように繰り返しても、それは責任転嫁のための強弁でしかないでしょう。また仮にいかなる経緯があり、いかなる理由があろうとも、政府から委託を受けた管理責任者には、2年以上にわたって子供たちのために何もしてこなかったという現実に関して重大な結果責任があります。

実はしかし、サンライズは単に子供たちのために「何もしてこなかった」だけではないのです。 


支援ルートの遮断 

20041130日に子供たちの取り込みに失敗したサンライズは、同年12月に入ると、表通りに面した入り口に施錠可能なゲートを設置し、ガードマンを配し、敷地奥にあるクルサー・リッリエイ孤児院を支援しようとするすべての外国人訪問者を規制するようになりました。このことに気づいたクルサー・リッリエイの子供たちは交替でつねに誰かが入り口の様子を窓から見張り、2人の子供が逐一日記に記すようになりました。その記述を読むと、支援に訪れた善意の人々がサンライズによって次から次に追い返されていった様子が分かります。枚挙に暇がないほど多くの事例の中から、訪問者サイドの側から証言を得ることができた数例のみ挙げてみます。

       2005222日、日本のNGO「国際人権ネットワーク」が支援物資(毛布、衣類その他)をもってクルサー・リッリエイ孤児院を訪問しようとしたところ、サンライズは敷地奥への立ち入りを認めず、支援物資だけは後で渡すからといって受け取りました。しかしこの支援物資は結局サンライズが横領し、クルサー・リッリエイ子供たちの手には渡りませんでした。他の国であれば明らかな横領罪です。

       2005430日、2人の日本人がクルサー・リッリエイ孤児院を訪問しようとしたところ、サンライズのスタッフ、ボンナ氏は、政府から誰も奥に入れるなという指示を受けていると言って、訪問を認めませんでした。しかし後に確認したところ、政府=社会福祉省がそのような通達を行った事実はありませんでした。

       200510月に韓国の某旅行会社がバス8台のツアーグループをクルサー・リッリエイ孤児院に送ろうとしたときも、結局サンライズに阻まれ、支援物資はサンライズに接収されました。

       20068月、アメリカのキリスト教系ボランティア団体がクルサー・リッリエイ孤児院を訪問しようとしたとき、入り口で立ち入りを拒否されたため、隣接する小学校の校庭を通る抜け道を使って、クルサー・リッリエイを訪問しました。

また私自身も2005110日にクルサー・リッリエイ孤児院を訪れようとしたとき、警備員の制止を受けました。2002年以来幾度もここを訪ねてきた私にとっては初めての経験でしたが、警備員との押し問答の末、サンライズのオフィスに連れていかれたのです。そこに現れたのはボンナというサンライズのマネージャー(カンボジア女性)でした。犯罪者を見るような目つきで私を胡散臭そうに見据えながら、彼女はトーラエムさんの悪口を述べ立て、クルサー・リッリエイ孤児院を支援してはならないと強い口調で言うのです。その後、彼女はサンライズ孤児院の施設を案内し、クルサー・リッリエイ孤児院の支援は止め、その代わりにサンライズを支援してほしいと言ってきました。何も知らずにここを訪れた旅行者であれば、流暢な英語で多言を弄するボンナ氏の話を簡単に信じてしまうだろうと思います。仮に彼女の話を100%信じなくても、サンライズが政府から全権を委任されていると聞かされれば、あるいは政府の指示だと言われれば、そこで引き下がってしまうことでしょう。実際、以前は平均すれば毎週数組の支援者がクルサー・リッリエイ孤児院を訪ねていたのですが、2005年に入ると訪問者の足がパタッと途絶えてしまったのです。

私たちが度々抗議を行った結果、20056月以降、サンライズは体裁を繕うべく訪問者立入り規制の手法を変えてきました。すなわち、クルサー・リッリエイ孤児院訪問を希望する者に対しては申請用紙に氏名、住所、メールアドレス、パスポート番号等の個人データを記入するように求め、さらにパスポートのコピーの提出を求めるようになったのです。このような手続きを導入するだけで十分規制の効果は上がるという判断があったようです。同時にこのような手法を使えば、支援妨害という批判をかわすことができると判断したのでしょう。事実、20056月までの半年間にわたる強引な妨害工作により、かつてはクルサー・リッリエイ孤児院に支援者を連れてきていたガイド、バイクドライバーの足はすでに遠のいてしまっていました。またかつては孤児院訪問プログラムを組んでいた旅行社も、ツアー客が個人情報の提出を求められるとなれば、二の足を踏んでしまいます。(過去2年、訪問先をサンライズ孤児院に変更した旅行社も少なくありません。ツアー客が訪れると、サンライズは子供たちにクメールダンスを踊らせて寄付金を集め、そこからツアーガイドとバスドライバーに6ドルずつのコミッションを渡しています。孤児院が土産物屋のようなビジネスをしているわけです。)

サンライズの事務局長、トレバー氏は警備員を雇うのはひとえに安全上の理由だと言うので、2006219日、私たちは私たちのサイドで別の警備員を置くことをサンライズに申し出ました。奥のクルサー・リッリエイ孤児院を訪問しようとする支援者についてはその警備員が安全上の責任を持つので、サンライズ側の警備員がクルサー・リッリエイに行こうとする訪問者を規制するのは止めてほしいと求めたのですが、サンライズのボンナ氏は激昂してこの提案を拒絶し、話し合いに来た私たちに対して「出て行け」と怒鳴りちらしました。遺憾ながら、今日に至るまで、サンライズ警備員による検問体制は続いており、クルサー・リッリエイ孤児院支援の大きな障害となっています。サンライズがクルサー・リッリエイの子供たちに対する責任・義務を放棄している以上、サンライズにクルサー・リッリエイ支援を妨害する権利はないのですが、このNGOは権利には義務と責任が伴うという当然の原則をまったく理解していないのです。
 

トーラエムさんに対する誹謗中傷 

ボンナ氏の主張によると、トーラエムさんは支援者から多くの寄付を受け取りながら、子供たちのための出費は最小限以下に抑え、寄付金のほとんどを私的な蓄財に流用しており、その証拠に銀行に隠し口座を持っているし、土地を購入しているということです。支援者から現物支給(たとえば洗濯機、米、ミロ)を受けたときも、トーラエムさんはしばしばそれを市場に持っていって売りさばき、現金化して蓄財に回しているというのです。さらに施設内では虐待と洗脳教育が行われているといいます。
その時点ですでに2年以上にわたってトーラエムさんをよく知っている私にとっては、これはあまりに突拍子も無い話ではありました。一方ではしかし、私はそれまでの経験からカンボジア人が目先の利益のためにいかに簡単に嘘をつくかを骨身に沁みていたので、事の真偽を見極めるために調査を開始しました。

私はまずサンライズが証人として上げた某小児病院の看護婦A氏を2度訪ねて話を聞きました。A氏の証言ではトーラエムさんが寄贈された洗濯機を2つとも売り払ってしまったという話でしたが、調べてみると売り払われたはずの洗濯機は2つとも間違いなく施設内に存在していました。ただし日々の洗濯物の量が膨大なのですでに耐用期間を過ぎて壊れていました。A氏は子供に「洗濯機はあるか」と尋ねて子供が「ない(使っていない)」と答えたので、トーラエムさんが洗濯機を売り払ったに違いないと思い込んだようです。サンライズが語るトーラエムさんの銀行の隠し口座や土地購入の話もA氏の証言に基づくものでしたが、これも調べてみるとすぐに真相は判明しました。以前某銀行で取り付け騒ぎが起きたとき、クルサー・リッリエイ孤児院への支援金(約400ドル)を管理する某ホテルのマネージャーが預金引き出しのためにトーラエムさんをプノンペンの銀行本店に派遣したのですが、そのとき偶々そこに居合わせたA氏がトーラエムさんを目撃し、「隠し口座」という話が出来上がってしまったのです。土地について言えば、トーラエムさんは子供たちの生活費を稼ぐためにときおり土地の売買を仲介していましたし、今もそうです。そしてこれは、不動産業が未発達のカンボジアにおいては、かなりありふれた副業なのです。この副業で得たお金の一部でトーラエムさんが土地を買ったのも事実です。元軍人の地雷障害者が政府から無償供与された土地を手放して故郷に帰るときなどに、トーラエムさんはその土地を安く譲り受け、その土地で子供たちと一緒に畑を耕して野菜を作っています。サンライズが言うように、寄付金を流用して自分の私腹を肥やすために土地を買っているわけではないのです。そもそもトーラエムさんが金儲けで私欲を満たすような人であったならば、彼女はとうの昔に子供たちを捨ててどこかに消えてしまっていたことでしょう。しかし実際は、普通の人ならどんな高給をもらっても割に合わない孤児院でのハードな仕事を20年近くも続けているのです。私欲を捨ててひたすら子供たちのために生きている彼女の姿に目を注ぐならば、それだけでもうサンライズの主張に無理があることは明白です。

私はまたサンライズが証人として挙げたドイツの旅行社STUDIOSUSの添乗員数人とも会って話をし、同社のプロジェクトマネージャーともメールでコンタクトをとりました。その結果確認できたことは、一人の添乗員の思い込みによってトーラエムさんが寄付金を着服したという話ができあがってしまったということです。詳しく検証してみると、両者の間に立った通訳のカンボジア人が金銭を着服した可能性が高いのです。いずれにせよ、トーラエムさんを断罪する十分な証拠は見当たりません。

サンライズはホームページ上でトーラエムさんを断罪するための証人としてティーという少年を登場させていました。ティーは以前トーラエムさんのもとで暮らしていましたが、小さい頃、高熱を訴えたにもかかわらず、それをトーラエムさんが放置したため、手遅れで失明したというのです。この証言が事実であるとすれば、トーラエムさんの孤児院世話係としての資質が問われることになります。しかし、トーラエムさんにこの点を尋ねたところ、ティーは孤児院に入所したときすでに片目が見えなかったそうです。真相は間もなく明らかになりました。ティーはその後オーストラリア人のホテルオーナーを介してプノンペンのサンライズ孤児院に移っていたのですが、そのティーがある日プノンペンからクルサー・リッリエイ孤児院に遊びにきていたのです。私の質問に対して、ティーはあっさりとトーラエムさんの言葉を肯定しました。それどころか、サンライズのホームページで記載されているような嘘の証言をした覚えはないと言うのです。それどころか、ティーはサンライズで暮らす今でも心の中では自分の本当の母親はトーラエムさんだと思っていると語ってくれました。ホームページ上での「ティー証言」はサンライズの作り話だったのです。その証拠に、私がこの点を指摘したアピール文書がサンライズの手に渡ると、まもなくサンライズのホームページから問題の記述が削除されました。

トーラエムさんを誹謗する材料を提供したと思われる人がもう1人います。1997年以来トーラエムさんの上司としてこの孤児院の院長を務めていたムン・ソクン氏です。子供たちは口をそろえて、この男こそ私欲の塊で、子供たちへの愛情のかけらもないと言います。2000年から2004年夏までクルサー・リッリエイ孤児院を支援していたCSI(アメリカのキリスト教系NGO)のデービッド・ジャルボア氏の証言によれば、ムンソコン氏は政府の役人と結託し、子供たちにダンスを踊らせて訪問客から多くの寄付金を集めながら、1ドルも子供たちには還元しなかったということです。ムンソコン氏は2004年末にサンライズがやってくると、サンライズの職員としてサンライズの工作活動に従事しています。この点については、後で述べることになります。
 

電気を止める 

20053月初め、サンライズの体質を象徴するような出来事が起きました。すなわち、サンライズはクルサー・リッリエイ孤児院への送電を絶ったのです。送電線は表通りに面したサンライズ施設を経由する線1本しかなく、サンライズが配電盤を操作することによって送電を停止することは技術的には造作のないことでした。電気を止められたことによって、クルサー・リッリエイの60人の子供たちは1年でも最も暑いこの時期に扇風機もテレビも電灯も使用できなくなってしまったのです。子供たちの日記によると、電気を止められたこの期間、小さな子供たちは夜寝苦しさのあまり泣き続けていたと言います。湿気と汗のために小さな子供たちの間では皮膚病が広がってしまいました。この皮膚病の惨状を見て、トーラエムさんのケアーが悪いからだと考えた人もいたようですが、発端はサンライズが電気を止めたことなのです。

私は送電停止の事実を知って、サンライズのオフィスを訪れ、事実関係と理由を問いただしました。ボンナ氏から返ってきた答えはこうです。「ええ、われわれは送電を止めました。われわれの情報によると、トーラエムさんは洗濯機でランドリービジネスをしているからです。われわれは彼女のビジネスを認めるわけにはいきません。外部の人間は口を挟まないで下さい。」

 いったい彼らはどういう神経をしているのだろうかと不思議な気がします。仮に百歩譲ってトーラエムさんがランドリービジネスをしていたとしても、それがどうして非難されなければならないのでしょうか。サンライズによってあらゆるライフラインを絶たれているのですから、子供たちを養うためにはサイドビジネスをせざるをえないでしょう。ただし、実際には洗濯機は2台とも壊れているので、電気があろうとなかろうと、ランドリービジネスなどありえない話なのです。事の真相はこうです。トーラエムさんの友達が孤児院の近くに住んでいるのですが、あるとき彼女の家の井戸が故障したため、数日間彼女が自分の家の洗濯物を持ってきて、孤児院の井戸で洗濯をしていったのです。彼女が洗濯物をもって行き来するのを誰かが見て、ランドリービジネスの話を作り上げたのです。送電停止という基本的人権にかかわる行為に及ぶ以上、当然まず事の真偽を徹底的に検証するのが筋ですが、サンライズは全くそのような検証を行っていません。現場検証も行わず、当事者に問いただすこともなく、そういう手続きをいっさい飛び越えて、一つの「証言」と推定だけに基づいて、いきなり送電停止を実行したわけです。正当な理由があって(この場合正当な理由などありえないのですが)送電停止措置を講じたというより、むしろサンライズは最初から電気を止めたかったのであり(現に20053月以前にも、サンライズがシェムリアップにやってきた2004年の末から、嫌がらせのように散発的に送電停止が行われていました)、3月初めになってようやくランドリービジネスという格好の口実が見つかったので、本格的に送電停止に踏み切ったというのが真相でしょう。すでに兵糧攻めという常軌を逸した措置を講じているという文脈の中で考えると、送電停止はサンライズの首尾一貫した行動なのです。

 数箇所からの抗議を受け、サンライズは312日に送電停止を一部緩和し、夜間の一部の時間帯に限って送電を再開したものの、日中は4月一杯、送電を停止したままでした。2005426日、サンライズは、夕方6時から朝の6時まで送電を再開し、かつ毎日食料を支給してもよいと クルサー・リッリエイ孤児院にオファーしてきました。突然の和議申し入れです。しかし子供たちはこの申し出を突っぱねました。無理もありません。子供たちにしてみれば、これまで散々傍若無人に自分たちを苦しめてきたサンライズが今更何を言うかという気持ちだったのです。ちょうど時期を同じくして、トーラエムさんは電力会社と交渉し、ようやく表通りから直接新しいケーブルを引いてもらうことにしたのです。この時点で電気の問題は解決しました。しかし、それによって基本的人権を無視したサンライズの犯罪的行為が消えるわけではありません。2ヶ月にわたる、場合によってはもっと長く続いたかもしれない送電停止という措置はいかなる理由によっても正当化されない恣意的暴挙です。

20057月、私は数人の子供たちとともにプノンペンへ行き、「カンボジア・デイリー」という新聞社を訪れて、窮状を訴えました。同社はすぐにサンライズの会長、コックス氏に対して問い合わせを行いましたが、驚いたことにコックス氏はサンライズが電気を止めた事実を否認したのです。私は20053月の時点ですでにコックス氏に3Eメールを送り、その中で送電停止の事実を指摘していました。さらにサンライズの現場責任者であるローズ氏とボンナ氏はともに公然とその事実を認めているわけですから、会長たるコックス氏が「そんなことは知らなかった」では済まされないでしょうし、まして「そんな事実はない」ととぼけることもできないはずです。にもかかわらず敢えて嘘をついたのは、さすがに電気を止めた事実を認めてしまえば人権問題になることをコックス氏は承知していたからだと思われます。因みに事務局長のトレバー氏は200511月に私との会談の中で送電停止の事実を認め、それはサンライズが犯したミステイクであったと認めました。しかし今日に至るまでその行為に対する具体的な謝罪も補償も行われていません。
 

トレバー氏という男 

サンライズで実質上指揮権を振るっているトレバー氏がどういう人間であるかを象徴的に示す事件がありました。

2005222日、トレバー氏が施設の解体・新築に向けた調査のためにクルサー・リッリエイ孤児院を訪れました。このとき一人の男の子(16歳)が2階の一室に鍵をかけて閉じこもっていたのですが、その部屋を見ようとしたTrevor氏は同行の2人のカンボジア人スタッフに命じて鍵のかかったドアを手荒く蹴らせ、鍵を開けるように強要したのです。その様子を背後から目撃した証人もいるので、否みようのない事実です。

 仮にも孤児院を運営する者が、しかもそのトップが、借金取りのヤクザのごとく、子供たちの面前でこのような暴力行為を行うというのはどういうことなのでしょうか?トレバー氏の行動は子供たちの記憶に深く刻み付けられています。この事実一つとってみただけでも、サンライズに果たして孤児たちの養育を行う資格があるのか、甚だ疑問です。

20056月の時点ではトレバー氏は上記の事実を全面否定していましたが、200511月には足で蹴ったのではなく、拳でドアをノックしただけだと言いました。一生懸命頭をひねって考え出した言い訳ですが、トレバー氏は目撃者が背後から見ていたとは知らなかったようです。
 

バンコクエアウェイズの支援打切り 

 200412月からサンライズはクルサー・リッリエイ孤児院に対して次々と兵糧攻め工作を進めてきました。米、薪、食料等の物資の支給をいっさい履行せず、水道を止め、電気を止め、善意の第三者による支援を妨害し、60人の子供たちが生きるために必要なライフラインを次々と切断してきたわけです。そういう状況の中で、子供たちにとって最後に残された命綱が、バンコクエアウェイズによる給食支援でした。タイのバンコクに本拠を置くバンコクエアウェイズは、数年来、調理済みの昼食を毎日届けてくれていました。サンライズが外部からの支援者の立ち入りを阻止するようになってからも、地元業者が毎日給食を運ぶバイク便だけはフリーパスでした。

ところが20058月、この最後のライフラインであるバンコクエアウェイズの支援も突然中止されたのです。私はタイのバンコクエアウェイズ本社に支援プロジェクトの責任者を訪ね、支援中止の理由を尋ねました。責任者の話によれば、20055月にサンライズのトレバー氏が同社を訪れ、クルサー・リッリエイ孤児院のトーラエムさんには問題があること、しかし今後はサンライズが政府のお墨付きを得て同孤児院のケアーを引き受けることを伝えたということです。これを受けて、バンコクエアウェイズは新たな予算年度が始まる20058月より支援プロジェクトの対象からクルサー・リッリエイ孤児院を外したということでした。一外国企業としてはカンボジアの政府権力を後ろ盾としているNGO絡みのゴタゴタには巻き込まれたくないという思いが働いたようです。加えて、一応プノンペンで実績のあるNGOが孤児院経営に乗り出したのであれば、もはや自分たちの支援は必要ないと考えたようです。しかし、現実はその逆でした。バンコクエアウェイズの昼食支援によってかろうじて食いつないでいたクルサー・リッリエイの子供たちは、この最後のライフラインが絶たれるや、飢え死にの危機に直面することになったのです。逆に言えば、バンコクエアウェイズの支援打ち切りをもって、サンライズの兵糧攻め体制は完成されたわけです。
 

何のための兵糧攻めか? 

 それにしても、サンライズというこのNGOはいったい何故、何を目的として、このようになりふりかまわず兵糧攻めを行うのでしょうか?

サンライズの経営陣は口を開けばいつも、子供たちの幸せこそが最優先事項であると立派なことを言います。しかし、彼らが現実にとってきた行動はことごとくその正反対です。政府の委託を受けながら、子供たちをケアーするという重大な責任を2年間にわたって完全に放棄し、水道も電気も止め、善意の人々の支援すら妨害し続けています。あらゆるライフラインを切断し、子供たちに「死ね」と言わんばかりです。多くの子供たちが口をそろえて「かれら(サンライズ)は私たちを助けに来たと言っていたが、実際には私たちを殺しにきた」とか、「死んでもサンライズの施設で暮らすのは嫌だ」とか叫ぶのも当然です。

翻って考えて見れば、事の発端は、サンライズが子供たちの「母親」であるトーラエムさんを排除した上で子供たちを自らの管理下に組み込もうとしたことでした。ところが「母親」は立ち退きを拒否して居座り、しかも子供たちはこの「母親」にピッタリ寄り添って離れようとしません。そこでサンライズは政府権力を使ってトーラエムさんの排除を画策する一方、現状のままトーラエムさんと一緒にいる限り幸せはないのだと思い知らせるべく子供たちを窮地に追い詰めるという強攻策を選択したのでしょう。子供たちを飢え死に寸前まで追い詰めれば、子供たちは一人、二人と白旗を掲げてサンライズの軍門に下るだろうと考えたのでしょう。「北風と太陽」の比喩を用いるならば、旅人(子供たち)からマント(母親)を剥ぎ取るため、暖かい日差しを送る代わりに、力ずくで北風を吹かせたのです。

仮に百歩譲って、サンライズが主張するごとくトーラエムさんが子供たちにとって本当は悪しき「母親」であり、子供たちを洗脳・虐待している独裁者であり、孤児院の不法占拠者であると仮定しても、子供たちに犠牲を強いるサンライズの兵糧攻めは決して正当化できない行為です。他の国であれば、サンライズの指導者たちは人権侵害や横領の罪で検挙され、NGOの認可もとうに取り消されていることでしょう。しかし道理が道理として通らないのがカンボジアという国です。この国では権力者とパイプを持っていれば、不正を力ずくで押し通すことができるのです。
 

子供たちの引き抜き 

サンライズは20054月のクメール正月の前後、クルサー・リッリエイ孤児院から相次いで子供たちを10人近く引き抜き、サンライズの施設に入所させました。後で判明したことですが、子供たちのデータを把握している前院長ムンソコン氏(200411月以降はサンライズ職員)が子供たちの親戚を訪ね、親戚を利用して一時里帰りという名目で子供たちをクルサー・リッリエイ孤児院から連れ出し(親戚に連れて行かれる時点で、子供たちに選択の余地はなかったようで、1人の男の子は泣きながら親戚に手を引かれて行ったそうです)、そして郷里からシェムリアップに戻ってきたときにサンライズ孤児院に入所させたのです。しかもサンライズ孤児院から内部告発を行った子供は、サンライズのシェムリアップ局長ローズ氏が親戚にお金を渡している現場を目撃しているのです。小さな子供2人を引き抜いてきた報酬として100 $、比較的大きな子供1人に対して200 $の報酬が支払われたというのです。いったいサンライズというこの組織は何を考えているのでしょうか?!明らかな人身売買ではありませんか。もっともサンライズは当然この事実も否認することでしょうが

サンライズが金を使って子供たちを引き抜くのは、それに見合うだけの大きな利用価値がその子供たちにあるからでしょう。事実、強制移動させられた子供たちの中の3人を利用して、サンライズは証言文書を作成しました。「トーラエムさんが竹の棒で叩くので、子供たちはいずれも自由意志でサンライズに移動した」という内容の証言です。この証言文書を私は後に社会福祉省シェムリアップ局のオフィスで見せられました。しかし文書はいずれも同じ大人の筆跡で書かれ(ムンソコン氏の筆跡に酷似)、しかも3人の中の1人は文字を習い始めたばかりで書かれている文章を読むことができたとは思えません。用意された文書への署名・捺印を迫られれば、すでにサンライズで暮らしている8歳や10歳の子供にとってそれを拒む方が困難だったことは容易に想像されます。

ちなみに、カンボジアではどの家庭でも母親は子供を叱るとき、竹や木の細い棒で子供の足や手を叩きます。サンライズはその事実をもってトーラエムさんが子供たちを虐待していることを証明したかったのでしょうが、それは逆にトーラエムさんが「母親」の責任を自覚していることの証なのです。サンライズ側が疑わしい仕方で作り上げた3通の「証言」とクルサー・リッリエイの子供たちが自筆で書いた56通の証言を比較して見れば、どちらの側に真実があるかは一目瞭然です。
 

「母親」強制排除の試みと抗議の輪の拡大 

 クルサー・リッリエイ孤児院の土地と子供たちを手に入れることが、当初からのサンライズの目論見でした。多くの観光客が訪れるシェムリアップのこの場所に、Sunrise Angkor Children’s Villageの看板を掲げて「立派な」孤児院を作ることは、サンライズの募金ビジネスにとって計り知れず大きな宣伝効果を持つのです。そのためにはどうしても邪魔なのがトーラエムさんです。

 サンライズが社会福祉省のシェムリアップ局長シエンソン氏とともに初めてトーラエムさんの実力排除を試みたのは、20053月末でした。331日までに退去しなければ強制排除を行うという旨の事前通告があったため、私は知人を通じて知ったプノンペンの政治家ユンハット氏に助けを求めました。氏はシェムリアップまでやってきてトーラエムさんや子供たちの話にじっと耳を傾け、シェムリアップ州知事に働きかけるなど、精力的に動いてくれました。その甲斐もあって、また331日に実力行使部隊がクルサー・リッリエイ孤児院に入ったときに子供たちが泣き叫び、騒ぎを聞きつけて一部報道機関が駆けつけたこともあって、強制排除は未遂に終わりました。

この事件の前後、私は友人、知人に協力を求めるとともに、過去にクルサー・リッリエイ孤児院を訪問・支援したことのある人々に向けて窮状を知らせるメールを送りました。その多くは梨のつぶてでしたが、それでもしだいに関心を共有してくれる人の輪が広がってきました。中でもマレーシア在住のボブ・リー氏、プノンペン在住のデービッド・ジャルボア氏(ともに米人)は数年来クルサー・リッリエイ孤児院を支援し、トーラエムさんに大きな信頼を寄せている人でした。電気までも止められたという知らせに驚愕した彼らは、20056月にシェムリアップを訪れ、私を含め3人でサンライズのトレバー氏、ボンナ氏と話し合いを行いました。しかし案の定、話は平行線に終始しました。私たちはもしサンライズが本当に子供たちのことを第一に考えているのであれば、話し合いを通じて必ず分かり合えるはずだという基本姿勢で臨みましたが、トレバー氏は話し合いが始まって数分後には「そんな話はしたくない。私は忙しい。」と言って、席を立ちかけるほどで、真摯に話し合いに応じる気持ちはまったく感じられませんでした。

その後、サンライズは自らが前面に出て批判の矢面に立つことを避けるため、もっぱら最高権力者フンセン首相を通じて社会福祉省に政治的圧力をかけ、事態の政治的打開に努めたようです。具体的には、200591日付をもってトーラエムさんを定年退職させ、1ヶ月の猶予期間を設けた後、101日に施設を退去させるというシナリオが描かれました。公務員55歳定年という法律はたしかに存在しますが、この法的規定を個々の事例に適用するかどうかは政府(高級官僚)の恣意的裁量に任されていて、適用されない例外ケースの方が多いというのが実情です。トーラエムさんの場合、本人に働く意思と能力があり、そして何よりも子供たちが彼女を「母親」として慕い必要としているのですから、少しでも血の通った行政であれば、当然55歳定年という規定を杓子定規には適用しないでしょう。社会福祉省の決定の背後でサンライズ=フンセン首相からの政治的圧力が働いたことは明らかです。カンボジア政府の行為そのものについては内政干渉になるので他国は口出しできないでしょうが、その裏で動いているサンライズは、いかに「政府決定」という隠れ蓑を羽織っても、世界の良識による批判に晒されることを免れないでしょう。

20057月、社会福祉省のシェムリアップ局長はトーラエムさんに対し同年101日に施設を退去すべしという通告を行い、一方サンライズはトーラエムさんが去った後に奥のクルサー・リッリエイ孤児院に運び入れるベッドを数十脚用意しました。こういう緊迫した状況の中、当のトーラエムさんは「子供たちを残して自分から施設を出ることはしない」、「自分は何も悪いことはしていないのだから、悪い結果になるはずがない」と語って微笑んでいました。しかし客観的情勢は決して楽観を許さず、警察力を用いた強制排除の恐れも十分ありました。私たちは最悪の事態を回避するため、できることはすべてやりました。

       数人の子供たちとともにプノンペンに出向き、『カンボジア・デイリー』と『プノンペン・ポスト』という2つの新聞社を訪ねてサンライズの不正行為を訴えました。前者はサンライズへの問い合わせを行った上で中立の立場から記事を書いてくれましたが、後者は担当者がオーストラリア人であったせいか、まったく反応がありませんでした。

       カンボジアで活動する200を超える外国NGOおよびローカルNGOにメールを送信し、サンライズの人権侵害と子供たちの窮状を訴えました。特に人権団体LICHADOには実情の調査を依頼しました。ただし特にカンボジアのローカルNGOは、サンライズがフンセンを後ろ盾としているだけに、及び腰でした。人権団体を標榜するLICHADOですら、調査を実施したものの、(これこそまさに人権問題であるにもかかわらず、)自分たちは「子供問題」のスペシャリストではないという言い訳をしつつ、判断を回避しました。そんな中、子供を対象とするNGOの連絡組織ECPATの代表者は、「コックス氏は非常に政治的な人間で、好きじゃない」と苦い顔をしていました。

       9月半ば、フォトジャーナリストと大島・山田両氏の協力を得て、東京で子供たちの「写真・手紙展示会」を開き、多くの方々にアピールを行いました。

       日本、シンガポール、マレーシア、ドイツ、アメリカの各国の支援者が一斉にサンライズに宛てて抗議メールを送るとともに、それぞれの国のオーストラリア大使、ならびにカンボジア駐在のオーストラリア大使に宛てた一斉メールでサンライズに対する監視を要請しました。特にこれはサンライズにはこたえたようで、会長のコックス氏は、「フンセンに訴えて片をつけるから、お前は国外退去処分を覚悟しておけ」というような脅迫じみた調子のメールを私に送ってきました。

       ラナリット王子の顧問であるハンユット氏に再度助力を求めましたが、今回はフンセンが介入してきている以上、ハンユット氏もシェムリアップ州知事も匙を投げた格好でした。

       トーラエムさんが逮捕されて投獄される事態に備え、アムネスティのロンドン本部とオーストラリア支部にメールで予め情報を伝えました。

 2005101日前夜から大島・山田の両氏がクルサー・リッリエイ孤児院に泊まり込んで、強制執行の事態に備えていましたが、3日過ぎても10日過ぎても、何事も起こりませんでした。おそらくオーストラリア大使への要請が功を奏したのではないかと思われます。サンライズが用意したベッドはサンライズ孤児院の玄関先に山積みされたままでした(それから1年以上を経た今でも同じ状況です)。

クルサー・リッリエイの子供たちは母親を奪われるかもしれぬという危機をこうして2度にわたって凌いだのです。

しかし、サンライズは決して諦めたわけではありません。トレバー氏が幾度も政府官僚と会議を重ねた後、20064月末になって、再び政府が動き出しました。フンセン首相の補佐官がシェムリアップ入りして社会福祉省シェムリアップ局の役人と会議を開き、そこで改めてトーラエムさん退去の決定が下されました。トーラエムさんがこの決定に従わない場合は、社会福祉省はプノンペンの裁判所に訴えて令状を取った後、強制執行を行う旨の通知がありました。私は裁判に備えて弁護士事務所や法律関係のNGOをいくつか回り、助力を求めてみましたが、そこで明らかになったことは、裁判に勝つには金が要るということです。カンボジアでは裁判官に多くの賄賂を渡した者が勝つというのが原則なのです。法の番人たる裁判官にしてこの有様ですから、法の適用と執行が官僚や警察の恣意に委ねられているのも不思議ではありません。形だけ法律は存在しても、法治国家というには程遠いのがこの国です。私たちは賄賂を払ってまで裁判に勝つことは諦め(賄賂合戦となればサンライズが勝つでしょう)、裁判に負けて国際世論の良識に訴える道を選ぼうと考えました。それと同時に、トーラエムさんが孤児院を追い出され、子供たちが彼女を追って孤児院を出た場合に備え、好条件の貸家を3か月分の家賃を前払いして用意しました。

ところが20066月に私が日本に一時帰国していた間に意外な展開がありました。社会福祉省の大臣が自らシェムリアップに来て、事態の収拾に乗り出したのです。これまでサンライズはいつも所轄の社会福祉省を跳び越え、いわば社会福祉省の頭越しにフンセン首相と話をつけてきたので、社会福祉省の人間は内心それを苦々しく思っていたという話を私はある筋から伝え聞いていました。先のフンセン補佐官による決定とそこから予想される事態を間近にして、社会福祉省の大臣がここにきてようやくイニシアティブを取り戻した模様です。大臣はトーラエムさんとサンライズのトレバー氏を呼んで会議を開き、先の決定を反故にする形で新たな調停案を提示しました。すなわち、政府はトーラエムさんが退職した後に住む家(4m×8m、鉄筋レンガ造り)を建設し、さらにフンセン首相が一筆認めて土地と家がトーラエムさんの名義となることを保証するので、その家が完成し次第、トーラエムさんは孤児院を退去するものとし、家の建設費はサンライズを負担するものとする、という調停案です。建設される家は50人近い子供たちが一緒に住むには小さすぎますし、場所も市街から遠く離れた郊外なので、もちろんこれはトーラエムさんにとって十分満足のいくものではありません。しかし、政府からこれ以上の譲歩案を引き出すことはできないと判断したトーラエムさんは、この調停案を呑んで、署名をしたのです。

トーラエムさん個人の家を造る費用をサンライズが負担するというのは、考えてみれば筋違いの話ですが、トーラエムさん排除がサンライズの意思であり、サンライズにとって大きな利益であるからこそ、このような形での妥協が成立したわけです。

200612月現在、トーラエムさんの家の建設工事はまだ着工されていません。しかし、いずれ家が完成すれば、トーラエムさんは施設を出ざるをえません。そうなれば、子供たちは全員(現在は46人)「お母さん」とともに暮らすために施設を出るでしょう。問題は彼ら「家族」全員が暮らせる家がまだどこにもないことです。政府が建てる家は小さな個人用住宅なので、問題外です。
 

支援ネットワーク 

初めに述べたように、クルサー・リッリエイ孤児院は2004年末までは公営の「シェムリアップ州立孤児院」でした。その後、政府がサンライズに権限を委譲してからは、サンライズ孤児院に所属するはずでしたが、現実にはサンライズが管理・運営責任を放棄し続けてきたため、この孤児院の籍はいわば宙に浮いた形でした。200510月、私はこの孤児院をNGOとして登録しました。というのも、20054月の時点でトレバー氏は「もしトーラエムさんが施設を退去したときに子供たちが彼女について一緒に出ていくようなら、彼女を児童誘拐罪で告訴して刑務所に放り込んでやる」と語っていたからです。現在の施設以外の場所で子供たちがトーラエムさんと一緒に一つの家族として生活するためには、NGOという形の受け皿が必要だったのです。そしてこのNGOの名称は、子供たちの発案にしたがって「クルサー・リッリエイ(クメール語で「幸せな家族)という意味」としました。

余談ですが、NGO設立の過程で私の妻(カンボジア人)の親戚筋にあたる一人の警察官P氏がいろいろと力を貸してくれました。ところがある日、彼は「もうこれ以上助力することはできない。これ以上クルサー・リッリエイ孤児院のために動くと、ACEからの奨学金が停止されると上司に言われた」と言ってきたのです。幹部クラスの多くの警察官はACEというオーストラリアのNGOが運営する英語学校で無料授業を受けているのだそうですが、サンライズ→ACE→警察上層部という経路でP氏に圧力がかけられたわけです。裏でこういう工作を平気でするのが、サンライズというNGOなのです。

さてNGOという形をとったとはいえ、クルサー・リッリエイはもちろん資金的基盤のある組織ではありません。クルサー・リッリエイが文字通り「幸せな家族」であり続けるためには、多くの個人やグループによる支援ネットワークでこれを支えていくしかありません。

20059月の展示会に続き、20062月にも東京で第2回の「孤児たちの写真・手紙展」を開催しました。2度の展示会を通じて数百人の方々にアピールを届けることができました。さらに私自身のホームページや友人・知人のブログを通じておそらく数千人の方々にクルサー・リッリエイの子供たちが抱える問題をアピールすることができただろうと思います。

 子供たちの教育と生活を支えるため、2005年から里親制度をスタートしましたが、日本とドイツを中心に里親の数も少しずつ増え、200612月現在で25人の子供たちが里親支援を受けるようになりました。これは子供たちにとって経済的のみならず、精神的にも大きな支えになっています。

  2005年末からクルサー・リッリエイ孤児院を訪問する支援者の数が日本人を中心に再び増えてきました。展示会やネットで関心を持ってくれた方々、あるいは現地で直接・間接に私たちと出会った方々が、サンライズの検問を避け、隣接する小学校の校庭を抜ける裏道を通って、クルサー・リッリエイ孤児院を訪問してくれています。

 このほか、クルサー・リッリエイ孤児院を支援してくれるグループもいくつかあります。 熊本学園大学のミャンマー人教授ルウィン・マング・マング氏率いる学生グループは、数年来毎年クルサー・リッリエイ孤児院を訪問支援してきました。20069月、私は偶々クルサー・リッリエイ孤児院に居合わせていて、同グループに出会うことができました。これまでバラバラに単独支援をしてきた個人やグループが、こうして少しずつネットワークを形成し始めたわけです。

横浜の長老教会の方々は共同で里子3人を支援すると同時に、随時募金活動を続けてくれています。

 「クラブワンネス」という若者グループは2005年8月にサンライズ孤児院を支援訪問した折、その奥にもう一つ別の孤児院(クルサー・リッリエイ)があることに気づきました。そのとき代表の矢野氏がトーラエムさんに渡した名刺を手がかりに、後日、私は日本で矢野氏を訪れ、クラブワンネスの総会でクルサー・リッリエイ孤児院の事情を説明しました。それ以来、クラブワンネスはクルサー・リッリエイを精神的・経済的に支援するため、年2回シェムリアップを訪れてくれています。またクラブワンネスはフリマやチャリティイベントを通じて新孤児院の家屋建設資金を集めるべく奔走しています。

ボブ・リー氏とその友人は、マレーシアとアメリカでクルサー・リッリエイ支援のために多様な活動を精力的に展開してくれています。20069月には著名なギタリスト、エンリケ・ヘナオ氏がチャリティ・コンサートを催しました。当初の計画ではこのコンサートで土地購入資金を作ろうと考えていたのですが、残念ながらコンサートは興行として失敗に終わりました。 


終わりに 

深く金権・腐敗に蝕まれ、私欲・物欲が蔓延しているこの国の中で、トーラエムさんの周りには爽やかな風が吹いています。一歩クルサー・リッリエイ孤児院の敷地に足を踏み入れ、一生懸命働き、遊び、勉強している子供たちの幸せな笑顔を見れば、そしていつも子供たちのために働いているトーラエムさんを見れば、この子供たちがトーラエムさんの大きな愛情に包まれていることが感じ取れるでしょう。トーラエムさんは稀有な例外です。

そしてもう一つ稀有な例外がサンライズです。およそNGOというものが人道とビジネスの狭間で様々な問題を内包していることは周知のことですが、しかしここまでひどいNGOは前代未聞です。口先では子供たちを劣悪な環境から救い出すことが目的だと言いながら、実際の行動においては子供たちが犠牲になることをまったく意に介していないのですから。言葉と行動がここまで乖離し、かつその乖離を覆い隠すためにここまで多くの嘘を並べ立てるNGOは、まず他には見当たらないのではないでしょうか。

このNGOのビジネス戦略の犠牲にされている子供たちをなんとか救出したいと願い、この2年間奔走してきましたが、如何せん、まだ道半ばです。しかし1人でも多くの良識ある普通の人々がこの問題に目をとめてくれれば、道はいつか必ず開けると信じています。

 

クルサー・リッリエイ孤児院支援ネットワーク連絡係  伊藤 聡   012-738011

itosatoshijapan@yahoo.co.jp

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