少女Kの日記

2005111314

オーストラリアのNGO、サンライズが私たちの孤児院の壁を塗りにやってきた。

サンライズが壁を塗っているとき、カメラマンのPharaがやってきて、私たちのお母さんに言った。「チア・シムはこれ以上孤児に十分な食糧を支給することができないので、サンライズに責任をもって孤児院を管理するように委託した。」

1130

私たちがカンボジアヌードルを作って小さなパーティの準備をしていたとき、サンライズは2人の記者を連れてきた。かれらは孤児院に入ってきて、お母さんの承諾のないままにハンモックで眠っている赤ん坊の写真を撮り出した。私がハンモックから赤ん坊を出して部屋に連れて行こうとすると、かれらはなおも写真を撮り続け、部屋のドアを蹴った。かれらはフンセンが発行した記者証を見せて、お母さんを脅かした。かれらは赤ん坊の写真を撮りたがった。そこでお母さんはかれらを部屋の外に追い出した。

1130

朝の9時から10時までサンライズの人たちはお母さんに腹を立てた。そこでかれらはサンライズのリーダーに訴えた。そこでかれらは私たちとお母さんを呼び出してかれらのオフィスでかれらの管理権について話し合った。しかしたとえかれらが何でも持っているとしても、私たちはかれらの管理に反対した。私たちはお母さんと一緒にとても長い間暮らしている。私たちは誰と一緒に暮らすべきか知っている。

最初の夜、かれらはお母さんの留守中に赤ちゃんのミルクを二缶くれた。

次の夜、かれらはバナナを一房くれた。

121

水道の水が出なくなった。

122

サンライズがお客さんに同行してきた。お客さんは写真を撮った。お客さんはお母さんに何が必要か訪ねた。お母さんは答えた。「卵、塩漬けの魚、赤ちゃんのミルク、粉石けん、シャンプー、醤油です。」かれらは市場に出かけて行った。お客さんが戻ってきたとき、サンライズはお客さんからすべて取り上げた。

124

9時半、県警察の長官がお母さんと私とソメンを招待した。私たちは皆で出かけていった。警察長官、コ・レア・サと彼の部下が私たちの孤児院について何か話し合った後、長官は手紙を読み上げた。そして彼は孤児院は院長であるムン・ソコンのものであると言った。彼は私たちにこう言った。「ゲートを開け、このNGOに孤児院の再建を認めなさい。」手紙にはお母さんが旅行者から250ドルを受け取りながら、子供たちがパーティに加わることを認めず、ゲートを閉めたままだったと書かれている。育ての母親が何故子供たちをあたかも自分の子供であるような呼び方をするのか?子供たちは政府のものである。彼女は期限を守って退職し、孤児院を去らなければならない。退職通知がまだ届いていないのなら、彼女はそれを政府に請求するべきである。私はかれらがお母さんにいくつか質問し、答えを書きとめていた。彼らは記録を読み上げ、お母さんに拇印を押すように言った。しかしお母さんはそれを拒否した。かれらはこんな女性は見たことがない、「一つの町に1人ぐらいだ」と言った。

車が1台、子供たちのために何か持ってきて私たちのゲートのところまでやってきた。ボンナー等のサンライズの職員がその車を取り囲んだ。それはまるでニューマーケットのキャベツを運んでくるトラックのようだった。お客さんは私たちを訪問し、潰瘍を治そうとしたのだ。彼らは先週の日曜日にも服を持ってきていた。そこでサンライズはその邪魔をしに出てきて、私たちの育てのお母さんは悪い人だと言った。それでもかれらは私たちの孤児院にやってきた。そしてお母さんに服を渡した。かれらが帰った後で、私たちは服をチェックしてみると、服は切られたり、引き裂かれたりしていた。

夕方637分、あるグループが車で食料と写真をもって私たちとお母さんのところへやってきた。するとそのときサンライズの人たちが出てきて、グループの前に立ちはだかった。背の低い女性、レング・ボンナーもグループのところへ駆け寄っていった。彼らはグループを説得してサンライズのオフィスに連れていこうとした。そのときボンナーは私たちと口喧嘩をした。旅行者はこれを見て、状況を理解した。ボンナーとサンライズの人たちは名刺を差し出したが、サンライズはよくないNGOだと知って、訪問者はそれを受け取らなかった。

1214

午前1040分、数人の旅行者が私たちを訪問しようとやってきた。しかしサンライズがかれらを制止し、オフィスへ連れていった。サンライズは旅行者から何かを受け取った。そのときサンライズは私たちが旅行者の周りに立つことを許さなかった。私たちは家の中にいたが、誰かがお母さんに「あなたは何故仏教を信仰しないで、キリスト教を信仰するのですか?」と問いただすのが聞こえた。お母さんは「これは子供たちの基本的人権の問題です」と答えた。

何人かの旅行者がここに来ようとしたが、サンライズは彼らを説得して、すべてをサンライズのオフィスに置いていかせた。

1216

午後425分、数人の旅行者がサンライズに阻まれた。ガイドがお母さんに電話してきた。少したってから、旅行者は帰って行った。ガイドはボンナーが中に入らせなかったと言った。

1222

午前1130分、一人のジャーナリストがガイドを伴ってやってきて、子供たちの写真を撮らせてくれと言った。お母さんは「あなたのボスは誰ですか」と聞いた。ガイドはサンライズだと言った。お母さんは穏やかな声で言った。「子供たちは政府に所蔵しているので、子供たちの写真撮影を認めるわけにはいきません。」

1229

午前955分、電気がしばらくの間(3.4日)切れた。

1231

サンライズはフロントゲートを閉ざし、「サンライズ・アンコール・チルドレンズ・ビレッジ」の看板を掲げた。

2005125

エン・キムヤンがお母さんと先生に宛てた社会福祉省からの2通の手紙をもってきた。

2月火曜・水曜

サンライズのスタッフがナイトクラブのように音楽を鳴らし、カラオケを歌い、踊りを踊った。朝から夜11時過ぎまで続いた。とてもうるさく、子供たちは眠れなかった。

26

午前1130分、サンライズはプノンペンから来た子供たちのためにパーティを開いた。私たちは招待されなかった。

27

サンライズが若いオーストラリア人の青年に写真を撮らせるため、3回お母さんに会いに来た。

28

12人の旅行者が私たちの家に来た。彼らは警備員の許可をとって入ってきたのだ。彼らは果物、歯ブラシを5つ、歯磨き粉を6つ、赤ちゃんのミルクを4缶、黄色い麺を1箱、石鹸を4つくれた。

29

数人の旅行者がバイクでやってきた。すると彼らは制止され、オフィスに連れて行かれた。

212

電気が切れた。

213

数人の旅行者がやってきて、すべての子供たちに鉛筆1本と紙を1枚くれた。

午後435分、タイからの旅行者が数人やってきた。彼らはボンナーと警備員に制止され、お母さんにお金を渡さないように言われた。しかしそれでも彼らは中に入ってきて、子供たちにカラーペンを3ケースくれた。トゥーイが証人。

214

午後4時、2人の日本人がガイドとともに来た。しかし彼らはオフィスに連れて行かれた。夜85分、私たちが英語の学校から帰ってきたとき、

 

216

午後740分に電気が切れた。午後920分、電気がついた。

217

技師がやってきて測量をした。その後、3人の男が来た。そのうち1人はThy氏で、社会福祉省の役人だ。

218

630分、私たちの家とサンライズの両方で電気が切れた。サンライズの方で電気が復旧した後も、私たちの家では電気がつかなかった。

219

サンライズの人間が3人(1人はトレヴァー氏、1人はトルー氏、もう1人は不明)来て、2階に上がっていった。

222

954分、トレヴァー氏(事務局長)2人のカンボジア人が来て写真を撮り、お母さんに新しい建物の設計図を見せた。それから彼らは男の子の部屋を見るために2階に上がって行った。彼らは2回ドアをノックしたが、レアンは「ノー」と言った。するとトレヴァー氏は2人のカンボジア人にドアを蹴るように言った。そして1人がドアを蹴った。そこでレアンはドアを開けた。

午後5時半、日本人のグループが私たちのところへ来ようとしたが、ボンナーに阻まれ、オフィスへ連れて行かれた。ボンナーは彼らに、お母さんはお金を横取りし、子供たちのためには使わないと言った。目撃者はダンスの先生であるヴェアスナーとチェア、それから日本語ガイド。

31

韓国の旅行者が1台のバスでやってきた。しかしボンナーは彼らを非難し、彼らを私たちのところへ来させなかった。韓国人の旅行者はとても怒って、社会福祉省へ行って訴えた。すると社会福祉省はボンナーを咎め、「こんなことをしてくれると、仕事がやりづらくなる」と言った。証人はチュン・チェット。

34

年配の日本人(イトウ)がガイドと一緒にやってきて、お母さんに言った。「子供病院の看護婦がお母さんは洗濯機やその他のものを売り払って、自分のためにお金を作っていると言っている。」

35

午後4時から5時まで、レッド・ドラゴン・バスがやってきて、警備員に阻まれた。二人の旅行者と2人のガイドが私たちのところへ来て、プレゼントを渡そうとしたが、サンライズは彼らを呼び戻し、彼らからすべてを取り上げた。彼らは637分に帰っていった。

39

郵便局から警備員に手紙が届けられた。受取人はレアンだった。チャンターが箱を開けると、中には2冊の本、数本のボールペンと鉛筆、数個の定規が入っていた。私たちは郵便局に9000リエル払った。

311

午後550分、誰かが警備員に送電スイッチを入れるように命令した。警備員が電気が流れたかと私に聞いた。私は彼に聞いた。「誰があなたに命令を出しているのですか?」彼は答えた。「分からない。誰かが私に送電スイッチを入れるように言ったんだ。」

312

サンライズは毎日午後6時に送電スイッチを入れ、朝になるとスイッチを切る。

315

イトウ氏がプノンペンから来た政府高官との会談にお母さんを招いた。CSIのダラ氏、チャンター、ティーヴィー、そして私が会談に参加した。私たちは問題について話し合った。

326

午後515分、サンライズは彼らの子供たちを使って、私たちが彼らと一緒に暮らすように説得しようとした。プラスチックのお菓子をくれたり、手を引っ張ってサンライズの建物に連れ込み、家に帰ろうとするとドアを閉めて閉じ込めたり、様々なトリックを使って私たちを引き込もうとした。ソックレアップはサンライズに住むことを強制された。彼女は知能が遅れた女の子だ。彼らはソクレアップに命じて、他の子供たちを説得させている。

328

ソウムが来て、社会福祉省の局長がお母さんに退職願いを書くように言っていると伝えてきた。

午後4時、お母さんとティーヴィーが社会福祉省との会合に参加した。シエン・ソン局長は、お母さんは2005年に退職しなければならないと言った。お母さんはここには住めないので、ここを出て新たにNGOを作らなければならない。局長はサンライズに木材や屋根瓦を要求し、匿名で保管しておくと言った。サンライズはトーラエムさんを憎んでいるからだ。彼はまた、15歳以上の子供たちは孤児院を出なければならないとも言った。

330

午前8時半から11時半までダンスの学校で会合があった。シエン・ソン、ムン・ソクン、

トレヴァー、ボンナーおよび書記2人、その他の人々が私たちの周りにいた。会合は紛糾した。何故なら彼らはお母さんを追い出そうとしたが、私たちはお母さんを愛しているので、賛成しなかったからだ。彼らはラエムさんが出て行けば、2箇所の子供たちを一緒にするとも言ったが、私たちは「ノー」と言った。

45

クモムのお母さんがクモムを1週間郷里に連れて行きたいと頼んできた。

410

午後420分、旅行者が郵送で服が入った小包を郵便局に送ってくれた。後でクモア・ヴァナックが郵便局へ行ってそれを受け取とってきたとき、警備員とボンナーが彼に最初は駄目だと言い、後になってOKと言った。同じ頃、午後440分、フン・ナム、カウチャナ、コ・ソペアンが私たちと喧嘩をしに私たちの家に来た。

411

午後1040分、警備員が歩き回っていた。レアンが「お前は誰だ?」と言ったので、警備員はレアンが家から出てきたらレアンを殴ろうとしていた。

412

クモムのお母さんはクモムを連れて帰ってきたが、私たちのお母さんにはまったく断りなしにサンライズへ連れて行った。

419

レムターとチャットゥが学校から帰ってくると、彼らのお母さんが彼らをサンライズへ連れて行き、その後で戻ってきて私たちのお母さんにそのことを伝えた。

420

745分、ポング、リー、ブロスの叔母さんたちが来て彼らを家に連れて帰ると言った。ポングの伯父さんは「こんなところで暮らしているより、郷里で牛の世話をする方がはるかにましだ」と言った。3人の子供たちは泣きながら、親戚に連れていかれた。ところが23日後、私たちは彼ら3人をサンライズで見かけた。

夜の9時から10時にかけて、チョアン・チョアが私のところにやってきて、連れ去られた3人の子供たちについて語った。彼は言った。「女性の世話係の話ではこの子供たちはサンライズに1200ドルで売られたということです。信じがたい話ではあるが、彼女がたまたま歩いているとき、ジェラルドが親戚に200ドル渡しているところを目撃したそうです。」

426

午後525分、ボンナーとトレヴァーが私たちとお母さんに尋ねた。「あなたたちは電気が欲しいですか?」そしてこう付け加えた。「われわれはあなたたちのためにこれから毎日午後6時から朝の6時まで電気を流してあげてもいいですよ。」私たちは答えた。「もしもあなたが善意で何かをくれるなら、私たちはそれを受け取ります。でも何かたくらみがあってくれるなら、私たちは受け取りません。」彼は聞いた。「あなた方は食べ物が欲しいですか。」私たちは「要りません」と答えた。するとトレヴァー氏は「ありがとう」と言った。

520

ソパルのおばあさんがきて、孫をサンライズと一緒に暮らさせるように要求してきた。

529

2人の旅行者が果物を私たちのために買ってくれた。ソメイが受け取った。

622

デーヴィッド、ボブ、イトウ、アミと子供たちがここに来た。

1013

9時、リカドから男性2人、女性2人が来て、サンライズが引き起こした問題について78人の子供とお母さんにインタビューをした。夜、リカドは私とチャンターとティーヴィーをリカドのオフィスに呼んで、さらに聞き取り調査を行った。私は署名をして拇印を押した。そのとき日本人もその場にいた。

 

1017日(月)

516分、カメラを持った背の高い男とサンライズの3人の女性がやってきて、子供たちの写真を撮った。彼らは20041130日にも来た人たちだった。彼らはハンモックで寝ている子供たちの写真を数枚撮った後。私が彼らに出て行くように言ったのだが、彼らは写真を撮り続けた。彼らは歩きながら笑っていた。彼らはここに入ってくる前にジェラルドと身振り手振りを交えて話していたので、多分ジェラルドが彼らをここに送ったのだと思う。


10
22日(土)

1530分、4人の訪問者が来たが、警備員が彼らを止め、持ってきたものをサンライズのオフィスに持っていくように言った。しかし2人の男性ガイドが警備員と長い間口論した後、訪問者は米とミルクで作ったお菓子を4袋と絵を描く道具を私たちに持ってきてくれた。私は彼らの住所を聞いておいた。

John and Sue Oswalt
5-15-2401 koyocho-naka
Higashinada-Ku
kobe 618-0032 Japan.

10
26日(水)

サンライズの4人のオーストラリア人、1人の男性と3人の女性がやってきて私の家を見て回った。そして彼ら帰って行った。その後、黒いシャツを着た1人の男性が戻ってくるともう1人の男性が彼の写真をとった。私たちの家の子供たちがゲートを閉めた。するとその男はゲートを開けて入ってこようとはしなかった。でもこれは多分ジェラルドの策略だったと思う。何故なら彼らがやってくる前にジェラルドは彼らと話していたからだ(彼らは11月に壁を塗りに来た訪問者だった)。

 

1026日(水)

1230分、ボレイ先生がフランス人の女性を連れて来たが、警備員は彼らを中に入ってくるのを認めなかった。そこでボレイ先生は私たちに電話をかけ、大きな洗剤パックを2つ、シャンプー8袋、赤ちゃん用のシャンプーを2瓶、薬を2箱、正面ゲートまで取りにくるように言った。

 

1029日(土)

13時、2人の男性がここにやってきた。彼らは「カンボジア女性」という団体から来たと言った。彼らの友人のラーさんから私たちの問題を聞いたそうだ。彼らは私とお母さん、ティーヴィーとスライコーイにインタビューした。

 

111日(月)

1430分、シンガポール人の観光客グループがやってきたが、そのうちの何人かが警備員に制止されているうちに、別の何人かが私の家まで来た。彼らはお菓子と飲み物を直接私たちに手渡した。彼らはサンライズがシェムリアップに来る前に以前来たことがある人たちだった。彼らは17時ごろに帰って行ったが、帰る前にサンライズのオフィスに寄って行った。

 

2006

23

1140分、ジェラルドとレング・ボンナーがここに来て私たちに英語とクメール語で書いた文書を渡し、お母さんに態度を決めて文章に書くように言った。しかしお母さんは「私はすでに退職しているので何も分かりません」と言った。それから私たち子供たちは、彼らに同意しないと言った。何故なら彼らは私たちの家を壊そうとしているし、私たちやお母さんが向こうの子供たちと一緒に食事をするように要求しているからだ。