少女Tの日記
2004年11月13/14日
この二日間サンライズが男性通訳を連れてやってきて、私たちの建物の壁にペンキを塗った。この通訳は、サムデイ・チェア・シム国会議長はSRPOの子供たちをこれ以上養育し続けることはできず、この孤児院の管理をサンライズに委託したと語った。
11月30日
サンライズがSRPOに来て、お母さんの承諾を得ぬままに写真を撮った。私たちが「止めて」と言っても、かれらは写真を撮り続けた。私たちが小さな子供たちを部屋の中に連れて行くと、彼らはさらに写真を撮ろうとしてドアを押した。そうこうするうちにオーストラリア人が名刺を差し出したが、お母さんは孤児院から立ち去るように言った。
サンライズは私たちに彼らと一緒に住むように言ったが、私たちは拒否した。
12月2日
サンライズがツアーグループを私たちの孤児院に連れてきた。旅行者の人たちはお母さんに何が必要かと聞いた。お母さんは「あひるの卵、干し魚、赤ちゃんのミルク、粉石けん、シャンプー、醤油が必要です」と答えた。その後、彼らは買い物に行った。ところが彼らが戻ってきたとき、サンライズは彼らからすべてを取り上げ、オフィスに保管した。彼らはそのことをお母さんには伝えなかったが、クンティアと何人かの友達がそれを見ていた。
12月10日
サンライズはまず1ダースのあひるの卵と粉ミルク二缶、肉、干し魚、野菜(キャベツ)、果物(一房のバナナ、オレンジ)をくれた。
12月16日
午後4時半、あるツアーグループがお母さんに電話で私たちの孤児院を訪問すると告げてきた。しかし彼らが到着すると、サンライズによって阻止され、少ししてから帰って行った。
12月22日
午前11時半、一人のジャーナリストがガイドを連れてやってきて、お母さんに子供たちの写真を撮らせてくれと頼んだ。お母さんとお父さんは彼らに尋ねた。「誰に頼まれて写真を撮ろうというのですか?」するとガイドが答えた。「サンライズのリーダーだ。」お母さんは承諾を与えず、丁寧な言葉遣いでサンライズと私たちの孤児院が別々の孤児院であることを説明した。
午後4時45分、バンコクエアウェイズが古着とオレンジが入った袋を二つ届けてくれた。
午後6時40分、ムオン・ティ先生がやってきて、お母さんと問題解決について話し合った。
12月24日
午後2時15分、シンガポールのツアーグループが私たちを訪れた。
12月29日
サンライズが旅行者が私たちを訪れるのを邪魔し始めたのは11月末か12月初め。
午前9時15分、再び電気が切れた。
午後5時、電気が復旧した。
12月31日
サンライズは朝の9時35分までゲートに施錠した。
2004年12月の末、サンライズは「Sunrise Angkor Children’s Village」の看板を掲げた。
2005年2月4日
午前9時30分、シェムリアップ県警長官のKeo Raksaがお母さんを会談に招き、いくつかの問題について議論した。お母さんが帰ってきたのは午後1時。
2月7日
午前11時、サンライズが私たちの2階の部屋を見るために数回やってきて、若いオーストラリア人がいくつか写真をとって行った。
午後6時半、ナムの家で大きな音の音楽が流れ(カラオケ)、私たちを困らせた。
2月13日
旅行者のグループがやってきて子供たち全員に鉛筆1本ずつと色紙をくれた。彼らは同じ物をサンライズの子供たちにも配っていった。
2月18日
朝6時半、サンライズの孤児院も私たちの孤児院も停電になった。午後1時サンライズ孤児院の電気は復旧したが、私たちの孤児院の電気は復旧しなかった。
2月22日
午後5時半過ぎ、ボンナーが日本のツアーグループを止め、お母さんの悪口を語った。ボンナーは「お母さんは旅行者から300ドルか30000ドルも受け取って、それを自分のためにキープしている」と言った。
午前9時40分、ジェラルド・トレヴァー氏と2人のカンボジア人男性が私たちの家の写真を撮りにやってきて、お母さんに新しい建物の設計図を見せた。そこには私たちの家がある場所に長い建物が書かれていた。その後、彼らは2階に上がって行って、男の子の部屋を見ようとした。彼らはドアを2回ノックした。しかし中にいたウアンはドアを開けなかった。するとトレヴァー氏はカンボジア人男性に命令して、ドアを蹴らせた。そこでウアンはドアを開けた。
2月29日
私たちの要求
* お母さん
* 入口ゲートの自由な出入り
* 旅行者や他のNGOが私たちを支援する邪魔をサンライズは止めるべき
* 食糧、電気、水等の問題を解決するための援助
* 私たちにはお母さんがいるので、私たちの場所をサンライズから離すこと。
サンライズがやってきてから多くの問題が生じた。彼らはお母さんを追い出そうとし、旅行者が私たちを支援するのを邪魔し、すべてを奪う。彼らはお母さんに対して他にも悪いことをたくさんしている。
3月12日
電気が止まる。午後6時、電気が復旧。
3月13日
朝6時15分、電気が止まる。
午後1時、旅行者グループが私たちのところに来て、男の子用のシャツを2枚と3冊の辞書をくれた。
3月14日
日本人の旅行者が本棚とノート数冊、ボールペン、鏡、米25kgをくれた。
3月21日
私たちの孤児院だけ停電になった。
3月22日
午後6時31分、私たちの孤児院に電気が復旧したが、翌日朝5時58分には再び停電。
3月23日
お母さんが薪を3?買った。
3月26日
午後5時、ホルム・スライラットがレアップの手をつかんで、サンライズの孤児院に引っ張り込んだ。午後9時50分、私たちの孤児院が停電。
3月28日
午前10時25分、県事務所のMrs.ソルムが来て、お母さんの退職についての話し合いにお母さんを呼んだ。お母さんは午後6時、話し合いから帰ってきた。
午後6時5分、電気が復旧。
サンライズは私たちがお母さんについて行くのを阻止しようとしている。彼らは私たちを管理下におさめようとしている。
午後9時22分、停電。
3月29日
朝6時30分に電気が流れ、同日の夜9時半に止められた。
3月30日
朝6時30分に電気が流れ、同日午後9時30分に止められた。
3月31日
朝6時45分に電気が流れ、同時午後9時42分に止められた。
4月6日
午前10時、クモムのお母さんがやってきて、私たちのお母さんにクモムを正月に家に連れて行きたいと頼んだ。私たちは証拠として写真を撮った。
4月7日
午前9時2分に電気が流れ、同日夜9時すぎに止められた。
4月10日
午後4時40分、サンライズの女性スタッフ3人(プネオン、ナム、ウェットナースト)が多くのスペイン人観光客と一緒に私たちのところに来て、私たちと口論をした。旅行者が帰った後、私たちはこの3人に出て行くように言った。
4月12日
クモムのお母さんがクモムをサンライズの孤児院に連れて行った。
4月19日
午後4時、ターとトゥーがかれらの母親によってサンライズへ連れていかれた。
4月20日
午前8時、リーの父親とターの母親ともう一人の男がやってきて、サンライズで暮らさせるためにリーとターを連れて行った。
4月21日
午前11時過ぎ、社会福祉省県事務所の役人がアンコール子供病院の医師を連れて、子供たちの健康状態を調査するために私たちの孤児院へ来た。
4月24日
午後1時、リー、ブロス、ポングの3人が親戚によってサンライズに連れて行かれた。
4月26日
午後5時25分、ダレン・ローズとボンナが私たちのところへ来て、電気と食料について尋ねた。彼らは夕方6時から朝6時まで電気を流し、毎日食料を提供してもよいと言った。しかし私たちは断った。
5月3日
サンライズは電気を完全に止めた。同じ日、お母さんは新しい電線を引いた。
5月9日
午後4時20分、2人の旅行者が米3袋と麺2ケース、卵100個をくれた。
午前9時過ぎ、ソパルのおじさんとおばあさんがソパルをサンライズの孤児院連れて行った。
6月9日
午前8時、道路際のゲートの警備員(黒い肌の男)が郵便局からの小包を受け取った。3つの国からレアンに宛てて送られたものだ。しかしチャンターが包みを開けてみると、中には本が2冊、数個の定規とボールペンしか入っていなかった。
6月22日
午後2時、デービッド、ボブ、イトウ、ダラおじさん、写真家1人が問題を解決するべく私たちを助けに来てくれた。
7月5日
午前11時、私(ティーヴィー)とキムリーはイトウサトシ氏と一緒に人権団体(ADHOC)シェムリアップオフィスへ行って、Ms.Mao Yinに会い、問題解決への援助を依頼した。
午後2時、私(ティーヴィー)とキムリーとイトウサトシ氏は再度Ms.Mao Yinに会いに行った。
7月13日
午前11時45分、2・3人の旅行者が私たちのところへ来て、サムナンとスライネアンの写真を見せた。このとき私たちは彼らを中に入れなかった。何故ならお母さんが不在だったし、また彼らは私たちのところへ来る前に長い間サンライズのオフィスへ行っていたからである。彼らがオフィスから出てきたとき、彼らはボンナーと握手さえしていた。
7月16日
午後12時、二人の女性の旅行者がガイドとともに私たちのところへ来ようとした。彼らはサンライズに阻まれたが、ガイドが私たちに電話をかけ、彼らと会うように言った。だから彼らはここへ来ることができた。そのとき、彼らは米1袋とバトミントンの羽根1ケースをくれた。彼らは12時半に帰って行った。
7月17日
午前10時15分、ボパアンコールホテルから老人が1人やってきた。彼は私たちのところへ来る前に、サンライズに呼び止められ、オフィスに連れて行かれた。
8月9日
午後4時過ぎ、2人の旅行者と2人のガイドが私たちのところへ来た。しかしその前に彼らはサンライズのオフィスへ行った。
午後6時、フランスに住むサンバットおじさんが米2袋を私たちにくれた。彼はサンライズにも米5袋をあげた。