クルサー・リッリエイ支援コーディネーター伊藤からの現地報告


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クルサー・リッリエイ便り 2005815日〜98

クルサー・リッリエイ便り 2006122

クルサー・リッリエイ便り 200661

クルサー・リッリエイ便り 2006729

クルサー・リッリエイ便り 2006914

クルサー・リッリエイ便り 200714

クルサー・リッリエイ便り 2008年1月1日

クルサー・リッリエイ便り 2008310

クルサー・リッリエイ便り 2008年7月6日
 

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  クルサー・リッリエイ便り 2009年1月

明けましておめでとうございます。昨年も様々な形で皆様からご支援をいただき、ありがとうございました。クルサー・リッリエイの子供たちに成り代わって、お礼を申し上げます。

私、昨年は仕事と私事で忙殺されていたため、シェムリアップには5回足を運んだものの、いずれも比較的短期の滞在で、現地報告も滞りがちであったことをまずお詫びいたします。私が長期滞在できなかった代わりに、何人かの支援者の方が異なる時期に1ヶ月〜3ヶ月の単位で現地に張り付いてくれたおかげで、また他にも多くの支援者の方々が切れ目なく訪問し続けてくれたおかげで、クルサー・リッリエイの子供たちがサンライズの敷地奥に封じ込められて孤立するというような事態を回避することができました。結果、サンライズも政府も、私たちの監視の視線で手を縛られたまま、また1年が無事に経過しました。 

実を言うと、昨年6月、サンライズの敷地に以前から居住していた数家族がついに政府からの圧力に屈して立ち退き、その住居が解体される現場を目にしたときは、いよいよ外堀が埋められて次は本丸のクルサー・リッリエイに対する圧力が強まってくるのではないかと緊張しました。事実、その後間もなく、社会福祉省シェムリアップ局長のシエンソンがプノンペンから来た数人の役人を伴ってトーラエムさんを訪れてきました。私はその場に居合わせず、後でトーラエムさんから話を聞いたのですが、それほど強硬な退去要求が突きつけられたわけではなかったようです。トーラエムさんを追い出すために政府がサンライズの資金で建設したトーラエムさん用の個人住宅を12月に見てきましたが、1年前に完成したその小さな家は、誰も住まずに1年を経過したせいか、ちょっと荒れた廃屋の雰囲気を漂わせていました。1年前に私がシエンソンと会って話をした時点では、彼は自分が20093月に任地替えとなる前に少しでも早くトーラエムさんを退去させようと明らかに急いでいました。それが結局この1年何も手が出せなかったということは、彼らが手詰まりになっていることを窺わせます。とはいえ、当面節目となる3月は十分な注意が必要でしょう。政府=サンライズに対する監視を緩めないという意味でも、この時期少しでも多くの方にクルサー・リッリエイを訪問していただければと思います。そしてこのまま事無く、節目となる3月を越し、4月のクメール新年を迎えることができれば、とりあえず一段落。希望的観測ではありますが、4年以上にわたる危機的状況を凌ぎきって、クルサー・リッリエイは新しいスタートを切れるようになればと願っています。もっともシエンソン局長の異動が延期になっているという可能性も排除できませんし、あるいは逆に再度サンライズの息のかかった別の局長が赴任してきて攻勢を強めてくるということも考えられますので、予断は許しません。 

子供たちの生活・教育に対する支援体制については、まだ万全とは言えませんが、この1年でかなり拡充してきました。イタリア人のEnrico氏がクルサー・リッリエイを支援するために同名のNGO(「Famiglia Felice」=Happy Family=クルサー・リッリエイ)をイタリア国内で立ち上げ、昨年4月に毎月350ドルの支援を開始しました。里親支援については、里親自体の増減に加えて為替レートの変動により、支援金の総額が絶えず微増減していますが、だいたい月400ドルほどでした。このほかに定期的支援として、グループ「プラスワン」から月250ドル、岡本さん、花野さん、梅田さんから合わせて月130ドルの支援金が寄せられています。これらに加えて不定期の支援があり、また若干ですが、クルサー・リッリエイの絵葉書の売り上げがあります。これらをすべて合わせることで、毎月のベーシックな経費を賄ってきました。詳細についてはHPの「収支報告」をご覧ください(この報告も数ヶ月単位で遅れがちですが、誠に申し訳なく思っておりますが、ごく最近更新したところです)。

これとは別にマレーシア在住の米人ボブ・リー氏およびシェムリアップ在住のカンボジア人ガイド、ジョン・テング氏の尽力で、年長の子供たちに対する英語教育支援、高等教育支援の体制も充実してきました。2006年の時点では英語学習といえばほとんどが隣の小学校を使った簡易授業でしたが、今では英語を学ぶ25人全員が英語学校に通っています。また昨年高校を卒業したソクンティアがシェムリアップの大学でホテルのマネージメントを学び、現在高校3年の3人も来年からの職業教育を支援する米人支援者が決まっているようです。また昨年の末、ボブ・リー氏が集めた支援金で15人の子供たちがコンピュータのWordクラスを受講し、さらに今年3月にはExcelを学ぶ予定です。 

一方、日本語授業については、昨年中はカンボジア人の熟練教師による授業を軸とし、日本人ボランティアがそれを補佐する(特にいわゆるBクラスの小さな子供たちを教える)という形をとってきました。しかし日本人ボランティアによる授業にブランクが生じたり、年長の子供たちが補習授業や英語学校で忙しくなってきて日本語にまで手が回らなくなってきたりしたため、昨年の後半は日本語授業に参加する子供たちの数が35人にまで減ってしまいました。そのためやむなく、過去2年半続けてきたクルサー・リッリエイでの日本語授業は中止し、意欲と時間のある子供だけを近くの日本語学校に通わせることにしました。

とはいえ、今後も日本語を教えたいというボランティアの方がクルサー・リッリエイを訪問し、子供たちと時間の調整がつくようであれば、個人レッスンのような形での授業は大歓迎です。事前に伊藤までご一報ください。

今年もまた昨年にもまして多くの方々にクルサー・リッリエイを訪問し、子供たちを励ましていただけたらと願っています。訪問予定のある方はmixiのコミュ等でお知らせください。Mixiで連絡を取り合いながら、現地でリピーターの方が初めての方を案内するという形が取れれば、それが理想かと思います。またmixiとは無縁の方はHPに記載している私のメルアドまでご一報いただければ幸いです。 

最後に、少し長くなりそうですが、昨年1031日にmixiのトピック「クルサー・リッリエイ」で書き込みのあった幾つかの質問にこの場を借りてお答えしようと思います。 

1.       クルサー・リッリエイでは、子供たちから「パー(パパ)」と呼ばれているブンレアン氏(20年ほど前に孤児としてトーラエムさんのところにやってきてからずっとここで生活し、トーラエムさんを手伝っている)が毎月、毎日の収支を微細に家計簿につけています。現地で訪問者が直接寄付金をトーラエムさんに手渡す場合も、もちろん正確に記帳しています(ただし寄付者が訪問者ノートに名前等を書かずに立ち去った場合には、寄付者不明のケースもあります)。私はこの家計簿をもとに、私が支援者の皆さんからお預かりした里親支援および他の寄付金も合わせて、HP上の収支報告を作成しています。ドル換算する際の為替レートは日本の銀行もしくは現地の両替商で実際にドルを購入した時点でのレートです。ただHPの収支報告がしばしば数ヶ月単位で遅れるのはひとえに私の怠慢であり、いつも申し訳なく思っています。また、現地での寄付が「正当に」使われているかというご質問ですが、上に述べましたように、すべての寄付は漏れなく記帳され、支出も透明にされていますので、そこに不正流用を疑う余地はないかと思いますし、私自身これまで4年間トーラエムさんという人間を全面的に信用して支援してきました。支出の内訳を見ていただければ分かる通り、すべて生活・健康・教育に必要な出費であり、「贅沢」と言えるような出費はありません。例外として例えば月20ドルの果物・おやつ(1人あたり月0.5ドル)とか、あるいはカンボジア人にとって重要なクメール新年とプチュンベン祭り(お盆)に際しての特別出費とかは、ささやかな楽しみとして認められるものでしょう。月々の支出に関しては基本的にすべてトーラエムさんにお任せしており、私が上から管理・指示することはありません。

2.       子供たちの教育について。トーラエムさんはともかく並外れて教育熱心な「母親」です。以前子供たちが書いた手紙の中でも、多くの子供たちが口をそろえて、「お母さん」はいつも「立派な人間になるために一生懸命勉強せよ」と言っていると書いています。2005年に子供たちが食うにも事欠いていた頃でさえ、年長の子供を可能な限り隣の小学校での英語授業に通わせていたほどです(里親支援の出発点もここにあります)。トーラエムさんの目標はすべての子供たちに高校を卒業させることです。カンボジアの現状においてこれ自体すでにかなり高い目標です。特に田舎の子供たちに絞って見れば、高校卒業まで12年間教育を受ける子供は100人に1人いるかどうかというところでしょう。小学校を23年で中退する子供もざらです。しかも田舎には農業以外の選択肢はなく、つてを辿って都会に出ても通常は日雇い労務者、バイタク、掃除婦、メイドぐらいの選択肢しかありません。しかしシェムリアップという観光都市に住むクルサー・リッリエイの子供たちが高校を卒業し、加えて英語をしっかり勉強しておけば、あるいはさらにコンピュータを習っておけば、それだけですでに就職の可能性はかなり大きく広がります。ホテル、ゲストハウス、レストラン、土産物屋の従業員、ツアーガイド、NGO職員、教師、技師等々。その意味で私も、子供たちが高校を卒業し、並行して英語・コンピュータ教育を受ければ、基本的にはそれで十分だと考えています。あとは子供たち一人一人の努力しだいでしょう。John Teng氏が提言しているように、「サラバイ」というNGO経営の職業学校(半日制)に通えばホテルやレストランに就職する道は比較的容易に開けます。

  そもそもカンボジアでの就職の選択肢は、先進国のそれと比べれば当然ながらはるかに限られています。日本ではごく普通の職種・職業がカンボジアではそもそも存在せず、稀に存在しても大学での「エリート教育」や高額の賄賂が前提になります。2年前にクルサー・リッリエイを巣立っていったPen Sotheavyは医者を目指してプノンペンの医大で学んでいます。年間3000ドルほどの学費と生活費はBob Lee氏とその支援者が負担しています。またPen Sotheavyの妹、Pen Sokuntheaも昨年秋から地元の大学に進んで、経営学を学んでいます(年間の学費は500ドルほど)。しかしこれはあくまで例外であって、彼女らが並外れた能力と意欲を持っているからこそ、そして偶々彼女らを支援してくれる人がいたからこそ、実現したことです。このほかにも素晴らしい能力と意欲を持った子は何人かおり、Bob Lee氏は更なる例外の実現に向けて尽力してくれています。

3.       クルサー・リッリエイの「自立」について。45人の子供たちを抱えたクルサー・リッリエイという家族が経済的に自立するというのは実際には非常に難しいでしょう。子供たちは決して施しを求める物乞いではありませんが、現実問題としてこの先5年、10年はまだ支援が必要でしょう。ただ子供たちには支援を受けることを当たり前のことと考えてほしくないという思いが私にはいつもあります。その意味で自立プロジェクトの重要性を私も認識しています。現在実行中の自立プロジェクトは絵葉書の作成・販売だけです。その売り上げは毎月の収支報告に記載している通りごく小額ですが、ともあれ自立プロジェクトの第1号です。この他にも、子供たちがカンボジアらしい土産物を作成して販売するという構想はあるのですが、まだ着手できていません。私がすべてを仕切る必要は全然ありませんし、また私一人ではとても手が回りませんので、アイディアのある方、時間と意欲のある方がどんどん新規プロジェクトを立ち上げていってくれればと思います。 

4.       Bob Lee氏が昨年秋に現地を訪れた際、コンピュータ学習を希望する15人の子供たちをFuture Brightという学校に登録し、まずは1ヵ月半の「WORD」コースがスタートしました。そのことは私もBob氏から聞いて承知していましたが、その後mixi2人の子供が「途中で授業料を払えなくなってパソコンスクールを止めざるをえなくなった」という書き込みがありました。Bob氏はWORDコースの授業料(約20ドル)を一括で払っているので、そもそもありえない話なのですが、昨年12月に当の2人に直接聞いてみました。まず1人の子はWORDコースを修了した後、次のEXCELコースにまだ進めないでいる現状を「パソコン学習をストップした」と表現したようです。EXCELコースの開始はBob氏からのお金が届く2月か3月に予定されています。またもう1人の子は、昨年Bob氏がクルサー・リッリエイを訪問して15人の希望者をFuture Brightに連れて行ったときに高校の補習授業で不在であったため、そもそもWORDコースの受講をスタートできなかったということです。同じようにいわば取り残された子供が他にもう1人いましたが、この2人は少し遅れて12月からWORDコースを受講しています。

 

 (クルサー・リッリエイ支援コーディネーター、伊藤 聡)