現地で孤児院を訪れると、トーラエムさんのいつも変わらぬ優しい笑顔に出迎えられます。彼女は1950年生まれ、2007年現在で57歳になります。私が2002年に初めて彼女に出会ったときの第一印象は「ああ、観音菩薩のような人だ」というものでした。しかし話を聞いてみると、この柔和な笑顔の裏に、多くのカンボジア人がかつて経験した恐ろしい過去が刻まれているのでした。

トーラエムさんはシェムリアップの裕福な名家に育ちました。彼女が20歳頃に撮った写真を見ると、映画スターのプロマイド写真かと思うほど、気品と美貌に溢れています。思いを寄せる男性も多かったことでしょう。1975年、彼女が結婚して間もなく、クメールルージュがシェムリアップを占領しました。悪夢のような4年間でした。町の有力者だったトーラエムさんの両親は真っ先に殺害され、結婚したばかりの夫は兵隊にとられ、そのまま行方知れずとなりました。トーラエムさん自身もNew People(旧都市住民)の一人としてプノンクーレン山で過酷な強制労働に従事させられました。筆舌に尽くしがたい日々だったでしょう。幾度も理由なくクメールルージュの兵士に殴られ、手足には当時の傷跡が残っていますし、頭蓋骨の一部は陥没しています。それでも、170万人が命を落としたこの時代を彼女は幸運にも生き延びました。ベトナム軍の攻勢でクメールルージュが去った1978年、彼女は一人シェムリアップに戻ってきました。兄弟、親戚の多くは命を落としていました。親戚の遺された小さな子供たちを引き取りながら、彼女は必死にその日、その日を生きてきました。

1988年から、トーラエムさんは政府が運営するシェムリアップ州立孤児院で炊事婦として働き始めました。クルサー・リッリエイの前身です。無論、彼女の仕事は炊事だけではありませんでした。洗濯、掃除、赤ちゃんおの世話・・要するに子供たちの世話全般です。したがって、彼女は今クルサー・リッリエイで暮らす子供たち全員を初めからわが子のように世話してきたわけです。子供たちが「手紙」で口をそろえて書いているように、皆小さな頃から「お母さん」すなわちトーラエムさんに育てられてきたわけです。物心ついたときには、いつもそこに彼女がいたのです。1997年に前院長ムンティ氏が退任し、後任にムン・ソコン氏が就任して以来、彼女は実質上一人で孤児院の屋台骨を背負ってきました。何故なら、この新院長は子供たちを利用して金儲けすることしか頭にないような男だったからです。David Jarboe氏の証言によると、ムン・ソコン氏は当時政府の一部役人と結託して子供たちにクメール・ダンスを踊らせ、それを観光客に見せて寄付金を集めながら、一銭も子供たちには還元しなかったということです。またローレン・ガリンドという現在人身売買の罪で服役中のアメリカ人と結託して養子ビジネスに精を出していたのも、この男です。

1999年から2004年にかけて5年間、クルサー・リッリエイの支援に尽力したDavid Jarboe氏はトーラエムさんと誰よりも身近に接してきました。私(伊藤聡)も2002年から今に至るまで5年間、彼女を驚嘆の思いでずっと見続けてきました。その二人が口をそろえて証言できることは、トーラエムさんが文字通り「すべて」を子供たちに捧げているということです。これは通常の孤児院スタッフ(caretaker)と孤児たちの関係を超え、まさしく一人の母親とその子供たちの関係です。クルサー・リッリエイを訪問すると、いつもそこには子供たちのために働いている彼女の姿があります。あるときは調理し、あるときはミシンで繕い物をし、あるときは庭に野菜を植え、あるときは年長の女の子たちと一緒に内職をしています。無論、留守のときもありますが、やがて市場から食材を買って戻ってくるか、あるいは離れた野菜畑から収穫物を携え、汗まみれになって戻ってきます。彼女が自分のために何かしていたり、昼寝をしていたりといった場面に遭遇したことは一度もないのです。1365日、1日おそらく18時間、彼女は子供たちのために働き続けています。David Jarboeも言っていますが、もしサンライズが主張するように彼女が金目当てで孤児院にいるのだとしたら、彼女はとうの昔に金を持って逐電しているはずです。またNGOの外国人スタッフのような高給をもらっても、彼女のような仕事を引き受ける人はカンボジア人の中にすら一人もいないでしょう。私であれば、3時間でギブアップし、2日後にはダウンして3日間寝込むでしょう。トーラエムさんが「母親」としての無償の愛で子供たちのために働き続けていることを、誰よりも子供たち自身がよく知っています。サンライズや政府が過去幾度かトーラエムさん追放を企てたときに、子供たちが必死の抵抗を見せ、「お母さんを奪わないで」と叫んだのも、当然といえば当然でしょう。サンライズはトーラエムさんが子供たちを「洗脳」していると誹謗してきましたが、これをもし「洗脳」というなら、親を慕うすべての子供たちは親に洗脳されていることになるでしょう。しかし常識では、こういうケースで「洗脳」という表現は使いません。

トーラエムさんの人柄で目立つ点を一言でいうと、控えめさ、あるいは慎ましさでしょう。支援活動を通じてカンボジア人と接していると、際限のない援助懇請にしばしばうんざりしてしまいます。「ありがとう・・・もっと助けて」という構図です。われわれの感覚からすると「ちょっと図々しいんじゃない」と思えるような要求も彼らは平気で出してきます。ベタっとまとわりつくような感触。ところが、その点、トーラエムさんはいつも爽やかです。こちらから聞き出さない限り、彼女は決して自分の方から援助を要求することがないのです。これはおそらく彼女の育ちからきているのではないかと思います。同様に彼女は他人の悪口を言いません。サンライズからどんな仕打ちを受け、どんなに誹謗中傷されても、内心は忸怩たるものがあるでしょうが、決して言葉に出して誰かを非難することがないのです。他人に何を言われようが、自分は自分が信じる正しい道をひたすら黙々と歩むのみ・・。そこには人としての「品格」が感じられます。

20059月末、政府から立ち退きを迫られ、警察による強制執行、投獄も予想された緊迫した状況の中で、彼女は母親である自分が子供たちを置いてどこかへ立ち去るわけにはいかないと言って立ち退きを拒み、「私は何一つ悪いことはしていません。善い事をしていれば、決して悪い結果になることはありません」と言いながら微笑んでいました。梃子でも動かないこの信仰に近い信念!権力や不正と「戦っている」という意識は、彼女には希薄です。ただひたすら信念を貫き、子供たちへの愛を貫こうとしているだけなのです。

目 次
Welcome to クルサー・リッリエイ
クルサー・リッリエイの「お母さん
クルサー・リッリエイの子供たち
クルサー・リッリエイ前史
NGOが子供たちを兵糧攻め?
!
クルサー・リッリエイ誕生以後
(2005年10月以後)
支援ネットワーク
教育支援の里親
Self-Help プロジェクト
クルサー・リッリエイ収支報告
近  況
「クルサー・リッリエイ便り」
現地からの報告
参 考 資 料
アピールT 20005年9月15日
アピールU 2006年1月
アピールV 2006年6月
アピールW 2007年1月
オーストラリア大使館への
抗議メールT2005年9月
オーストラリア大使館への
抗議メールU2006年3月
『カンボジア・デイリー』掲載記事
David Jarboe氏の証言
子供たちの手紙(全23通) 
2005年6・8月
子供たちの手紙(全16通) 
2006年1月
子供たちの手紙(抜粋5通)
サンライズ会長コックス氏との
メール交信記録
少女Tの日記
少女Kの日記

クルサー・リッリエイの「お母さん」