self-helpプロジェクト
某ゲストハウスのオーナー、E氏の提案に基づき、2006年初めから、子供たちが自らの手で作成した絵葉書(一枚一枚手で描いたもの)や装飾品をクルサー・リッリエイ訪問客やゲストハウス宿泊客に販売しています。ただ支援に頼るだけではなく、自分たちにできる努力はするという子供たちの自立心を養うのが目的です。現実問題としてこの子供たちは私たちの支援がなければ生きていけません。しかし、この子供たちが多くのカンボジア人のように支援されることに慣れきってしまって、支援されることを当たり前のことと思い、自助努力をするより支援に依存する方が楽だと考えるようになるとしたら、それは本当の支援ではありません。
シ アヌーク前国王が退位するときの演説で、上はトップの政治家から下は物乞いまでカンボジア国民はみんな物乞いになってしまったと嘆いたそうです。政治指導者たちは国の産業を育てるよりは、手っ取り早く外国(特に日本、韓国、中国、タイ)からの援助を取り付けることに躍起です。その一方で政治家たちの日常活動の主たるものは、その援助金を使って村の農民に施しをして回ることです。カンボジア人民党とフンシンペック党は競うように援助合戦を繰り広げます。道路作りも学校建設も国の事業ではなく、政党の慈善活動として行われるのです。より多く施しをした政党・政治家が貧しい国民により多く感謝され、当然ながら選挙で票を獲得できるという構図です。その意味で政治家たちにとって、村の農民は永遠に貧しいままであってくれた方が好都合なのです。貧しい人々を貧しいままで「援助漬け」にしておくことが支配者の政策なのです。
そういう国で外国人が支援を行うとき、支援を受ける者はもちろん喜んで支援を受けますが、いったいこの外国人が何故自分たちを支援してくれるのだろうかなどと考えたりはしません。プノンペンの寺院で十数年にわたって日本語教育を中心とした支援活動を行ってきた渋井氏はこう断言しました。「カンボジア人を支援して、精神的な見返りを期待したら、それは期待するだけ無駄。カンボジア人にとって目先の利益がすべてであり、頭の中にあるのは損か得かということだけだ。」であればこそ一層、クルサー・リッリエイの子供たちを支援する上で、また総じてカンボジアで支援活動を行う上で、まず私たち自身が「支援」のあり方を徹底的に考えておく必要があります。依存心(物乞いの心)を助長する支援ではなく、自立を目指した支援。そして損得計算を超えた私たちの「思いやり」を伝える支援。クルサー・リッリエイの子供たちがいずれ自立したときには、彼らもまた他人を「思いやる」ことのできる人になってほしいという願いを込めた支援・・・。
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