Welcome to クルサー・リッリエイ
転機が訪れたのは2005年1月です。ある日、私が孤児院を訪問しようとすると、孤児院に通じる路地の手前にゲートが設置されていて、警備員が私の前に立ちはだかったのです。私が孤児院訪問の意向を伝えると、警備員は私をゲート近くの某NGOオフィスに(連行するかのように)導きました。そこで私の前に現れたNGOスタッフは私に信じがたい話をし始めたのです。いわく、トーラエムさんは子供たちを虐待し、支援金を着服し、銀行に隠し口座を所有し、土地を買い・・・。もし私が寄付をするなら、トーラエムさんが「不法占拠」している路地奥の孤児院にではなく、政府から正式な委託を受けて近代的孤児院を運営しているNGO「サンライズ」にすべきであると語って、このスタッフはメインストリート沿いのサンライズ孤児院を案内しました。スタッフはまた、政府は近々トーラエムさんを退職させるので、路地奥の孤児院もいずれサンライズに吸収される、とも言いました。
このときから私にとってある意味「戦いの日々」が始まったのです。当然ながら私はサンライズで聞いた話をトーラエムさんに伝え、彼女の言い分に耳を傾けました。以後2・3ヶ月間、私は真偽を確かめるため、多くの「証人」に話を聞いて調査を行いました。調査の結果は明らかでした。しかし、調査の結果を待つまでもなく、2005年3月にサンライズが路地奥の孤児院への送水・送電を停止したという事実が判明しました。サンライズは、いかなる理由があっても許されない犯罪行為を平気で行うような団体だったのです。現に60人の子供たちが路地奥の孤児院で日々暮らしているにもかかわらず、このNGOは水も電気も止め、私自身が経験したような形で訪問者を規制し、政府から委託された管理・運営者としての義務を履行せず、子供たちが飢えに瀕して投降してくるのを待っていたのです。この事実を目撃して、誰が素通りできるでしょうか?たまたま最初に現場に遭遇した者がまず声を上げなければ、すべては金と権力の勢いに押し流されて手遅れになっていたでしょう。
このような「犯罪現場」に遭遇したとき、私たちの国(まともな法治国家)であれば警察かメディアに一報するだけで問題はすぐに解決するでしょう。しかし、ここは如何せんカンボジアです。「私たちの常識」が通用する国ではないのです。危機の現場に遭遇して、私はまずかつてこの孤児院を訪ねたことのある人々の中でメールアドレスが分かっているすべての人に向け、祈るような気持ちで窮状を訴えるメールを送りました。真っ先に呼応してくれたのは、2人のアメリカ人でした。1人はマレーシア在住のBob
Lee氏であり、「支援ネットワーク」のページでご紹介するように、今日に至るまで私と二人三脚で支援を続けてきた欠けがえのないパートナーです。もう1人は、当時プノンペンに住んでいたDavid Jarboe氏です。氏はかつて1999年から2004年までNGOスタッフとしてシェムリアップに住み、孤児院を支援してきました。現在の住居の一部、台所、トイレ、井戸、フェンス、滑り台等、すべて彼の支援で作られたものです。その後彼は2005年夏にカンボジアを引き払い、故郷のアメリカに去っていきましたが、その前に一度サンライズとの会談でサンライズ事務局長のトレバー氏に対して激しい口調で詰め寄るとともに、トーラエムさんという人間を誰よりもよく知る者として貴重な証言ビデオを残していきました(「David Jarboe氏の証言」)。インタビューの最後で彼は涙を流しながら「世界中の善き人々はこの子供たちを助けにここに来てほしい!(And good people around the world should come to help them!)」と叫んでいました。別れ際、私の手を握りながら、「あなたは神を信じていないかもしれないが、私は子供たちのために神が私の代わりにあなたをつかわして下さったのだと思う」と言った彼の言葉を私は今も忘れません。キリスト教的な招命意識は私にはありませんが、おそらくそれに匹敵する責任の重さを私は感じています。
長期の将来にわたって子供たちの面倒を見るだけの資金的な裏づけがないのであれば、無責任に手を染めるべきではない、と考える方もいらっしゃるでしょう。しかしあのとき、「今ここで」助けを求めて叫びを発している子供たちを目の前にして、私たちはただただ「なんとかしなければならない」という思いに駆り立てられていました。「できるかできないか」と自問し、「できないかもしれない」と考え、手を染めずに素通りするということは、とりもなおさず子供たちを見殺しにすることでした。もし私たちが支援の手を差し出さなかったら、そして間もなく多くの方々が支援に参加してくれなかったら、子供たちは四面楚歌の中で飢え死にしたか、もしくは「お母さん」を奪われ、サンライズに「投降」して、一生癒えないトラウマを心に抱え込んでいたのです。
「サンライズ問題」が勃発してから2年半が経過しました。その間の紆余曲折については、「クルサー・リッリエイ前史」「クルサー・リッリエイ誕生以後」のページをご覧下さい。いまだに多くの課題が残されていますが、この2年半でかなり広範な支援ネットワークが形成されてきたおかげで、クルサー・リッリエイは幾度もの危機を乗り越え、45人の子供たちは「家」を追い出されることなく、今も日々元気で学校に通い、遊びに興じ、それぞれに家事を分担して働いています。
初めにまず潤沢な資金があり、施設も建設し、その上でそこに住む孤児を「募集」する巨大NGOが多々あります。NGOの孤児院経営はある意味でビジネスであり、営利を目的とはしないまでも、スタッフの人件費(かなりの高給)や諸経費には寄付金が転用されます。そこからさらに組織の論理、ビジネスの論理が暴走すると、サンライズの場合のように、「子供たちの幸せ」を犠牲にしても組織の利益を追求するという本末転倒が起きたりするわけです。私たちの「支援ネットワーク」はこの対極を目指しています。私たちには組織も十分な資金もありません。あるのは人々の「思いやり」への信頼だけです。それだけに私を含め、誰一人この「思いやり」に寄生してはならないと考えています。支援者は本来孤児院の子供たちをこそ支援しているのですから、NGOスタッフが支援者と被支援者の間に立って、いわば仲介料として支援金の「中抜き」をするというのは、不正とはいわぬまでも、支援者の本来の意思に沿うものではありません(カンボジアで活動する外国NGOの場合、通常で5割から6割、ひどい場合には8割ほども「中抜き」されるのが現実です)。私を含め、各国で支援窓口を務める者は皆無給ボランティアであり、自らもそれぞれ一人の支援者なのです。組織とは異なり、「ネットワーク」では私たち支援者一人一人が子供たちを「直接に」支援するのであって、それ以外の第三者は介在しません。私たち皆がネットワークとして情報を共有することによって、この「直接」支援が単なる理念を超えて、現実的に可能になるはずです。そのために、今回、新たにこのクルサー・リッリエイのサイトを立ち上げました。このサイトを通じて、私たちの支援がどう生かされているのかを透明化するとともに、子供たちの近況について逐一最新情報に提供していきたいと考えています。